東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)

現地会議

3.11会議の今がわかる会議 2022 in 福島

開催概要

タイトル 3.11の今がわかる会議 2022 in 福島
テーマ 福島県沿岸部の現状と課題 〜避難解除後の大熊町の今は〜
日時 2023年2月11日(土・祝)13:00-16:00
会場 大熊町linkる大熊 多目的ホール
参加者 オンライン36名、会場22名(参加者10名、登壇者6名、スタッフ6名)
主催 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)
助成 復興庁コーディネート事業
協力 特定非営利活動法人いわて連携復興センター
一般社団法人みやぎ連携復興センター
一般社団法人ふくしま連携復興センター
一般社団法みちのく復興・地域デザインセンター
資料 登壇者資料ダウンロード(PDF)

プログラム

開会/趣旨説明

富田愛(JCN岩手担当/いわて連携復興センター)

JCNは全国の支援団体とつくるネットワーク。震災当初から被災地の現状を伝える会議を行ってきた。今年度もテーマを二つに分けて岩手県、宮城県で開催してきた。今回は福島県、大熊町を活動の拠点としている登壇者の方々と一緒に福島、大熊町の現状を考えたい。

福島県内の状況について

鈴木里加子(ふくしま連携復興センター・事務局次長)

  • 福島県内の状況、3万人が避難。まだ戻れない区域もある
  • 震災関連死も多く、人口減少、高齢化、過疎化が復興を難しくしている
  • 12年を迎える今も、広域的な避難が大きな影響を与えている
  • ハード面の整備は進んだが、震災後も度々自然災害が起こり、教訓を試されているよう
  • 地域の社会課題を見える化し、解決していくことが必要
  • 復興住宅の支援体制、県社協、心のケアセンター、コミュニティ形成支援事業
  • 連複では、広域避難者支援、県内支援、復興創生の3つの支援活動を行う
  • 避難者支援事業では、全国に26か所の生活再建支援拠点の設置、サポートしている
  • 県内では、復興支援相談員、地域おこし協力隊のサポートを行う
  • 移住定住、交流人口の拡大を目指している

大熊町の現状説明

北村郁美(JCN福島担当)

  • 避難指示区域の経緯。田村市から、会津へ二次避難
  • 4月には会津若松市に役場機能を移し、町立幼稚園や小中学校を再開
  • 2012年12月の区域再編により、人口90%の地域が帰還困難区域に
  • 2019年4月に大河原地区が解除、5月に役場、6月に復興公営住宅ができる
  • 2020年常磐線開通、2022年特定復興再生拠点の解除で人の暮らしが戻りつつある
  • 今回のテーマ選定は、原発立地地域で7年戻れなかった状況で一から町をつくっている大熊町が今どんな状況にあるのか伝えたいと思い選んだ。
  • 現在の大熊町の人口は10000人。実際に町内には、住民票がある408人、住民票がない居住者を含めると950人が町内で生活。
  • 避難は県内に約8000人、2000人強の方が避難生活を送っている
  • 佐藤亜紀さんからは町づくり復興、渡辺さんは住民として、佐藤由弘さん、増子さんは教育、徳田さんは新しい産業、雇用、志賀さんは福祉の視点からお話いただく
  • 様々な立場からの登壇者を迎え、様々な角度から大熊町を伝えていく

登壇者から報告

コーディネーター・北村郁美(JCN福島担当)

佐藤亜紀さん(HITOkumalab代表)
  • 2011年は東京に住んでいた。移住者の立場
  • 2014年から19年まで大熊町復興支援員としてコミュニティ支援を担当
  • 2019年に大河原地区の解除、大河原出身の夫との結婚を機に大熊町へ移る
  • 2021年から、HAMADOORI13の事務局を担当
  • HAMADOORI13、浜通りの13市町村、町ごとに見てしまいがちな地域で、民間による広域の連携をつくる
  • 若者の企業支援を行っているフェニックスプロジェクト。3年間、年1000万未満の補助金により、若者のチャレンジをサポート
  • お金だけでなく、経営の相談など、伴走支援が特徴
  • フェニックスプロジェクトは2期まで行っている。大熊、双葉はまだなので是非
  • 町内でHITOkumalabを立ち上げ、コミュニティ支援、もともとの地域の力を生かした活動
  • 移住サポーター、移住の体験ツアーなどの受け入れ
  • 大熊町の身近な暮らしをインスタやツイッターで発信
  • 町にいて感じていること。もっと知ってほしい。訪れてほしい
  • 原発事故で全町避難、帰還困難区域のこと、中間貯蔵施設のこともある
  • 福島だけの問題ではないこと、自分の生活に直結していることを感じてほしい

(北村)いろいろなところに所属し活動している。その原動力は?

(佐藤)福島に来た時の原動力は怒りだった。今はこちらに来て、大熊のみなさんを尊敬していて、それが自分を走らせている。

(北村)怒りというのは?

(佐藤)この社会、原発事故が起こるこの国はなんなんだろうというところ。東京でできることを考えて3年間ずっと悩んでいた。やはり、行かなければわからないし、周りは無関心になっていく。

(北村)それで実際に大熊に来られた?

(佐藤)原発の立地している双葉町か大熊町に決めて仕事を探した。

(北村)移住者として見えている部分は?

(佐藤)絶対埋められないところ。普段お付き合いしているのも町の人が多いが、絶対わからない。必ず大熊町の人としてどう思うか聞いている。そのすり合わせが日課。町の人とまったく同じ目線にはなれない前提がある。

渡部キイ子さん(大熊町民、linkるおおくまスタッフ)
  • 大熊町熊川地区生まれ育ち、海側で地引網や獅子舞がありのどこかな町だった
  • 津波で誰の家かもわからない状態になり、現在、中間貯蔵施設になっている
  • 高校卒業後、東京電力ホールディングス株式会社に入社、定年まで40年勤めた
  • 震災時は福島第一原子力発電所内で仕事をしていた
  • 第一原発は震災で無残な形に。現在はタンクが約1000基
  • 2012年の写真、富岡や大熊の住民が住んでいた帰還困難は真っ暗。第一原発だけ明るかった
  • 大熊町950人のうち、本当に戻ってきているのは183人。私は183人に入っていない。避難先はまだいわき市
  • 大熊町は令和9年に人口4000人を目標にしている
  • 大河原地区は東京電力の寮が多くある。交流ゾーンに役場ができ、学校を建設中
  • 震災後の大熊町。成人式、野馬追、夏祭り、農業、お酒、いちご栽培が始まっている
  • 昨年からlinkる大熊のスタッフになり、訪れる方の橋渡し役になっている
  • linkる大熊は集うことをコンセプトに、来た方に大熊町のファンになってもらう
  • スタッフも町民が少ないので、大熊町についての勉強会を行う
  • いま駅周辺はなにもない。いま見に行って、2年後にまた変わるからねと言っている
  • 思っていること。外で何かするときに制限がかかる。外で交流できるところがない。キャンプやバーベキューができるといい
  • どこでもwifiがつながるといい
  • 自分としては、町がどう変わっていくか。勤めていた原発の廃炉を見守っていきたい

(北村)なぜ大河原地区に戻ったか?

(渡部)最初は前に勤めていた飲食店に勤めるため戻った。そのあと交流館ゾーンができるので残った。残って正解だった。

(北村)大熊にかかわっていたいという気持ちがあった?

(渡部)母が震災直後亡くなった。その思いを考えると、母が見られなかったところを私が見るという気持ち。

(北村)戻って、一番変化を感じるのは?

(渡部)移住者が増えた。町民は戻らない人が多い。人口増やすために移住者を増やしている

(北村)もともとの大熊町民は?

(渡部)200人いっていない。

(北村)大熊町だけでは生活が難しいのではと思うが?

(渡部)便利と思ったことはない。やっと郵便局ができてATMができて便利になった。山崎さんも8時で、日曜は6時に閉まる。

(北村)そんなに不便していない?

(渡部)車を持っているので、少し走れば買い物はできる。でも車がない方は、乗せてもらうとか、バスで買い物に行く。1時間に一本しかないのでもう少し便利になればいい。免許返納した場合、そういうのが便利にならないと住めなくなる。

志賀翔一さん(大熊町社会福祉協議会)
  • 大熊町の居住人数415名。大部分が町外に避難。そこで生活再建している
  • 居住者の年齢は、若い年齢が多いが、その半数は役場職員や新規転入者
  • 実際の町民は、高齢化率が高い
  • 課題は、住民同士のつながり。避難先で多くの方は再建しているが、一部困窮におちいり、地域になじめず孤立している
  • 公営住宅の入居が落ち着いたところで、コロナの流行があり、地域の交流の機会が弱い
  • 帰還した町民も考え方の違いがある。町内と避難先2か所で生活する方もおり、長く同じ地域に暮らす意識が低くなっている
  • 町内の医療、福祉施設の整備も進んでおらず、単身高齢世帯も多く、町内での生活は難しい。町内で生活するには、自分で介護予防が大切になっている
  • 身体能力の低下、日常生活の困りごとがあがっている
  • 支援者も限りがあり、制度で対応できない。住民同士の助け合いが必要になっている
  • 社協としては、見守り生活支援。地域で孤立している方の支援を行う
  • いわき市では、他町村の社協と連携し、孤立を防ぐ取り組みをはじめた
  • それぞれの地域、町内でも孤立させない取り組み。定期的にサロンを開催
  • 町民同士の助け合いもすぐにできるわけではない。顔がわかる関係を築く必要がある。顔を見える活動を行っていく
  • 駅前の開発が進むと町民が戻ってくると思う。町民が戻ってきてよかった。支えてくれる人が多い地域にしたい

(北村)社協として一番力を入れている部分は?

(志賀)生活支援相談員。大多数が避難先にいる、生活を支えるため、その地域で馴染んでもらう活動が大きい。

(北村)社協の拠点は他にもある?

(志賀)いわき市、郡山市、会津若松市、役場の事務所があるところにある。

(北村)各支所との連携は?

(志賀)毎月1回集まって、状況確認を行っている。

(北村)志賀さん自身は戻る前はどこに?

(志賀)夫沢出身。震災後社協に入った。最初、会津若松市で5年活動し、いわき市に移り、解除に合わせて町内の事務所設置で、居住地も引っ越してきた。

(北村)今、志賀さんは町内のこと、地域福祉がメイン?

(志賀)大熊町については、地域の復興、再構築に力を入れている。

(北村)今後の帰還する人が増える中での課題は?

(志賀)町民のつながり。自宅に戻った方では、復興住宅に来た人はよそから来た人と意識を持つ人もいる。それを含めた繋がりは時間をかけて行わなければいけない。

(北村)そういう繋がりづくりも社協で行っている?

(志賀)助け合い、お互いさま。支えあいの事業に協力してもらうような活動をしていく。

質疑応答

(感想)双葉郡が一体となって生活協同圏となるような復興を願っています。

(質問)町の予算の使われ方について、みなさんどういう使い方を望んでいるか?

(渡辺)コロナ渦でネット社会になった。自分で契約してネットを引くのが現実だが、町が配備してくれるばいいなと思う。

(徳田)死に金でなく、生き金にする。この町に必要なのは未来に投資すること。多くの方が、お金を上手に使えてないのではと感じていると思う。

(質問)被災者支援交付金で福島県が相談員の配置、社協のサロン活動を行っている。予算は16年度は20億円が18年に8.5億円に。それはニーズがなくて減ったのか、あって減ったのかを聞きたい。

(志賀)相談員の配置数が減ってきている。避難先に町民がいる。避難先での配置も望みたいが、避難先の社協での配置が難しいので減少している。避難が続いているうちは、見守りとして望まれているので、活動を続けたい。

(質問)支援員は減ってきている。減っても大丈夫なのかと思っている。他の市町村でも、帰還が済んで生活相談が必要なくなったの?と感じる。

佐藤由弘さん(学び舎ゆめの森校長)、増子啓信さん(学び舎ゆめの森副校長)
  • 新しい学校をどうつくっていくのか。
  • 12年前、4月に大熊町の学校を会津若松で立ち上げた。どこよりも早く、教育にかける思いが強かった。
  • 12年経って、全国で教育改革を叫んでいて、大熊町は現実をいち早く突きつけられて、学校の在り方を考えてきた
  • 3月に会津若松を離れ、4月に大熊に戻って学校を再開する
  • 現在は、会津若松で教育活動を展開し11年目
  • 児童数は8名。R5年度に大熊町で再開。一人一人が自分の学びをデザインする教育
  • 現在、そのテーマの実現、学びを実現するための校舎を建設している
  • シームレスな教育環境。幼児教育と義務教育の連携。一緒に学ぶ
  • 年齢や立場を超えて、共に学びあう
  • 探究的な活動では、学内で社会課題を解決する。ニワトリを育ててみる
  • 学校の中の社会課題をどうするか、経験から、解決していくことを学ぶ
  • 正解のない学び。教員も共に学び、OODAループでその時の最適解を求める
  • 自己決定の尊重。子ども自身が考えて、自己選択、決定する
  • 時間割は個々の考えをもとに作成する。時間割は誰のものか。自らプロデュースする
  • その道のプロと触れ合い、肌で感じる
  • 学習を進めることで、様々な高まり、自分ならできる!を感じる
  • 自分の好きを大事にする子どもを育てる。月曜日に学校に行きたくなる学校

(北村)子どもたちが時間割を決めていく。どのように子どもの声をキャッチするか?

(増子)例えば、子どもたちが身についていないところを、いつもより多く設定する。この作品をつくりたい、その子ども達の思いを聞きながら、教員がカウンセリングしつくっていく。少人数だからこそできる教育。

(北村)探求の授業は、最初からできたか?積み重ねでできたプログラムか?

(増子)最初は会津はどんな鳥が住んでいるか、巣箱をつくった。それは全然入らず、ニワトリの卵は本当にヒナになるのと疑問から、ニワトリを飼った。教員たちもどうする?から展開した。

(佐藤)ベースは、12年前に教育長が大熊町の教育の復興という本を書いた。本当に今までの教育に戻っていいのか、12年間考え続けていた。ビジョンを作って、あり方と向き合い作っている。私たちも管理教育がしみ込んでいるので悩んでいる。考え、地域のみなさんと教育する素地している。大人が生き方を示してくれる様な教育ができればと思う。

徳田辰吾さん(ネクサスファームおおくま 取締役兼工場長)
  • ネクサスファームは、大熊町でイチゴをつくっている会社
  • 2019年から始めて4年で5000~6000人が視察に来ている
  • 100×300メートル規模のハウスでイチゴを栽培している。日本で3番目の規模
  • 2019年4月、8人でスタート。1年で2作、現在9作目の準備をしている
  • ハウス内環境はコンピュータで制御。新しい農業、2年かけてシステムを構築した
  • もともと農業をやったことがない人で始めた。誰でも取り組めるシステムをつくる
  • 地域でイチゴ生産を始める人のサポート、ルートの確立、産業として根付く将来像
  • 課題はパートが不足していること。町民が12名、近隣から8名が通っている
  • 帰還する町民の雇用の場所としては、40~50人がいないとフルに稼働できない
  • 本来は1年間フル稼働することが理想

(北村)将来像の計画の手ごたえはどうか?

(徳田)産業をつくる意味では、社員のうち4名が独立を希望している。近い将来、数年後、イチゴをやりたい、イチゴじゃないもの、大熊町でやりたい、大熊でない所でという人もいる。農業の業種なので、農業の部分では貢献できるのではないか。

(北村)ここで学んで、それぞれが意思をもって農業されることは大歓迎?

(徳田)イチゴじゃなくてもいいと思う。作り方はイチゴ以外も作れる。学んでいるのは、植物の整備生体、基本的にイチゴ以外も作れると思う。

(北村)人が不足している課題、どう解消していくか?

(徳田)4年でいろいろやった。農複連携、インターンシップ、100km県内の求人。外国人、いろいろやったが、一過性なところが強い。社員をすごく増やせる状況ではない。12名が社員。対策するが根本の解決には、町に人が増える、近隣に人が増える。地域全体の問題と思う。

(北村)いまも募集中か?

(徳田)今は一度止めている。作付け計画は1年前なので、作る量で人数が決まるので、人が集まった時点で増やす。

(北村)加工製品も増やしていくか?

(徳田)規格外品は一定出る。その中で作れるもの。つくるものはメイドイン福島でやっている。福島で発信していくことにこだわった製品をつくっている。

質疑応答

(質問)子どもたちが自ら生きる力を得ていると実感する場面は多くなったか?

(増子)子どもたちが将来なりたいものを明確に持ち始めている。それに向かって、生活を送っていることが伝わってくる。将来に向けて今できることを具体的に考えて過ごしている姿が見られる。

(質問)町外の生徒は通えるのか、スクールバスなどは?

(佐藤)学校は法律上市町村がつくる。双葉郡で作るとなれば建付けが必要。社会資源を有効に生かそうとするのであれば、そういう方向性を検討していくのも必要。私たちは、作っていただいたところで粛々と向き合っていく。

パネルディスカッション

コーディネーター:栗田暢之(JCN代表世話人)

(栗田)福島の課題を語るときに現地にこだわり、大熊町に来た。常磐線で来た時、北に上がると工事の量が増えていくイメージ。富岡町から北へ行くと、人が住んでいない家、草がぼうぼうで、真新しい駅が見えてくる。駅からのバスから見ると、12年間手つかずの場所が広がっている。大熊町役場という矢印の道を曲がると、開発というイメージのところに来ている。ようやくスタートした現状を聞いた。いろいろと大熊町の復興、これからをどう考えたらいいかを取り上げていく。
チャットで学生さんから、「復興事業などで莫大な金と労力をかけるより、早めに諦めて、土地を離れて避難している人が人間らしく生活し、そうした支援にに力を入れたらいいのではないか?」という質問。外から見るとだいたいこういう風に見えるかもしれない。違う選択肢もあったのではないかという問いかけがあったがどうか?

(渡辺)震災直後、避難先で双葉郡の町民は町に帰れないのではないか、町全体が引っ越すのではないかという話が出た。その中で、町長選挙で町長になった方は町に戻るぞと話された。もう一人はどちらかというと移ると、やはり2局になって、僅差だったが戻る方に票が入った。やはりふるさとはふるさと。町が廃れて、自分の住むところがなくて、新しい住宅をつくらなくちゃいけない。町民もいろんな選択をした。私はふるさとを大事にして戻ると決めた。戻ってくると決めたからには、町が中心になって、復興計画を立て、第3次計画の策定に入っている。どういう町になるか、いま作っている最中。

(志賀)支援の面でいうと、避難先の住民は自分の家を建てて生活をしている。最終的には地元の社協にお願いしていくことになるが、大熊で見守りの対象の方は、優遇してみている形。避難先では、相談員は終了していて、つなぎの支援は連携、町村町村の状況に応じる。

(栗田)いま大熊町民はどのくらいの地域にいる?

(渡辺)ほとんどの町にいる。ない県もある。

(栗田)渡辺さんと志賀さんは地元、先生方は?

(佐藤由)相馬市内だが、相双地区で育ってきた。双葉が大変であれば、相馬として、相双の人間として何とかしたいと思いで仕事している。

(栗田)副校長先生は大熊に来て何年?

(増子)現場に来る前に3年教育委員会にいた。復興はどこまで行ったらゴールか難しい。人口減少社会で、子ども達の未来のために今はこういうことをするのが教育、未来に向けて、つくりあげる、環境をつくることが町へ貢献すること思っている。

(栗田)佐藤亜紀さんのことをどう思って見ている?

(渡辺)違う目線で見てくれる。

(栗田)なかなかよそ者が定着するのは難しいと思う。学生さんの質問も含めてどう思う?

(佐藤亜)本当に大熊の方にお世話になった。本当に苦労され、震災の経験を持っていて、話すことで、聞かせていただいて、学ばせていただいている感覚がずっとある。ご質問で、試してもらいたいのは、早めに諦めてというのを、本当に当事者の方に聞けるのかなというのを感じていただけたら、是非ここに来て、出会ってもらって、聞く機会を作ってもらえたら得るものがあるんじゃないかと思う。

(栗田)全国の方はこう考えているかもしれない。そこに生きる人がいて、愛情をもって入られた、一回ここに来てほしいというメッセージですね。町民400人って、全員知り合いみたいな感じですか?

(佐藤亜)ここに生活していると「おう!」みたいな感じです。よくここで食事してます。

(栗田)徳田さんも違う?

(徳田)僕は北海道です。6年前に大熊町と一緒に仕事している。

(栗田)学生さんの質問には?

(徳田)この通りではないのか。ほとんどの人がそう思っていると思う。やっている感に見えるというここ重要と思う。思いをもってやっている人もいるし、そうでない方もいる、実際そうだと思う。僕もこう思うことがある。国がこの地域は戻そう、町民も戻ろうと動いているわけで、政治的な問題と思う。

(栗田)私も避難者を受け入れる愛知県被災者支援センターに関わっている。戻る戻らない、10年経っても1/4の方がまだ決めかねているという答え。それくらい、どっちが正しいとは誰も言えない。それぞれの選択を大事にしていく、両方を目指していかなければいけないと思う。人にやさしい町に、住みやすい町にしていく。

(徳田)ここに戻れるという選択肢をつくったのはよかった。大熊町民と話すが、この人は大熊の人だからとあまり気にしたことはない。町民だから、移住だからで人付き合いしているわけじゃない。いろんな人に出会うが、よくしてくれる。昔のことを話してくれる。聞く方は歴史を学ぶし、話したい人もいっぱいいる。高齢の方も多いので、人間関係をつくっていくには大事。最初の8人は半分が移住して働いてくれている。住民票を移してきたが、ウエルカム感を感じないと言う。そういう人は疎外感を感じるのはある。あとは行政の、町の交通が不便でバスをつくって、バス停をつくる、ほとんど使わない。少しずつ使う人が増えてきたが、一時間に一本しかない。雨が降ってても、寒くても暑くてもそこで待たなければならない。夜は真っ暗。屋根をつけよう、照明をつけよう、座れるようにしよう、そういう発想が優しくなければ。住んでいる人は何が便利かはわかっている。そういう声を聞きながら、住む人に優しい町であってほしい。

(栗田)どのくらい人に優しい町づくりができるか。大熊にはチャンスがある。そのエピソードを聞かせてください。

(増子)パイロットの室谷さんの話。今年度は学校に来て公演いただいた。大熊は何でもできる、チャンスしかないと言葉をいただいた。生徒は自分の夢を持っている、そういう子ども達につながっていると思う。

(栗田)子どもたちが受け止めて、本当にそう思っているんでしょうね。

(増子)子どもは町の未来と思う。だからこそ、自分の夢の実現も含め大きく育てていきたい。その中で、大熊への応援も育てていきたい。

(栗田)自分で考えて行動していく。大熊に子どもたちが戻ってくるのは楽しみですね。

(増子)まずは、子どもたちに名刺を持たせて挨拶回りをさせようと思ってる。

(栗田)移動もあるのでは?

(増子)それが課題。

(佐藤)福島県で人事権を持っている。実は私も定年退職でお仕舞ですが、県の教育委員会でもそこを途切れないように考えている。連携していくのが公の仕事。

(栗田)4時のコケコッコはどうした?

(増子)雪が積もる場所で、ひさしがある場所に移って、校舎の中側で遮られて、あまり迷惑にならなかった。

(栗田)これから始まる大熊で、地域の思いをもったみなさんがこれからどういう仕事をしていくか、子どもたちも、聞くことができた。これからについてそれぞれ一言いただきたい。

大熊町の未来に向けて登壇者から一言

(佐藤亜)覚悟はだいぶ前に決まっていて。ずっとここで生きていきたい。骨を埋める。もっともっといろんな種類の人が増えるといいなと思う。帰ってきていただきたいし、移ってくる人が増えるといいし、子供も増える。そのためにできることを取り組んでいく。

(渡辺)働いているこの場所、定年ないから働けるまで働いていていいと言われている。体力続く限り働いて、お迎えして、ファンをつくって、戻りたいな、暮らしたいなという人を増やしたい。

(志賀)やっと戻って来られるようになったので、よかったなと思えるように、地域の支えあいができるような地域にしていきたい。

(佐藤由)国は異次元の少子化対策と考えている。大量生産、消費、そういう右肩上がりの時代ではない。20年後、30年後の社会を見据えて、子ども達の教育を考えていかなければならない。大熊町は早く気付くチャンスをもらったと思って教育づくりしている。4月に大熊に戻って、先生だけでなく、地域のみなさんと、まちづくり、日本という国をどうしていくか考えていける子どもたちを育てる。学校の枠をでた形で学び舎をつくっていきたい。

(増子)好きがあれば大丈夫。そういう子たちを育てていきたい。そこに未来があると思う。今できることを一生懸命やっていきたい。

(徳田)この町にかかわることになったので、この町が、大丈夫だなと思うか、だめだなと思う方向に行くか、それがわかるまでやっていこうと思う。

質疑応答

(質問)生活支援員、具体的な事例について教えてください。

(志賀)生活基盤ができている、今後地域に根付いていくため、避難者支援コーディネーターを進めている。地域のコミュニティに溶け込んでもらう、地域課題として取り組んでいく。力を入れていく。

(質問)原発を60年まで延長したことをどう思う?

(渡辺)第一原発に勤めていた。2011年の3月にこうなった時に、1号機が40年だった。発表されていなかったが、60年を念頭に置いていた。当時から言われていた。国の基準をクリアしないと延長できないことになっていた。自分としてはびっくりしていない。新規建設は、コンパクトなものをつくるという、1Fは60年はあっという間、新規がないと電気が供給できない。太陽光でも、大規模停電でパネルがうまく機能できなかった。どちらもあってもいいのかと思う。個人的に。

閉会挨拶

栗田暢之(JCN代表世話人)

今回、JCNでは福島にこだわって会議を開催した。世間の風化が進む中で、今日見たものは、きちっと話をしていかなければならない現実。まだ手つかずで残っている地域をどのように復興していくか。岩手宮城からは、周回遅れと福島は言われている。それだけ複雑な課題が多い。誰もさぼっていない。この事態に自分の選んだ道を歩むみなさまの力強い言葉をいただいた。未来の子ども達のためにも、これは福島だけの問題ではないと発信していきたい。またこの問題に話し合えるように。みなさんに福島に来ていただきたい。本日はありがとうございました。