現地会議
3.11会議の今がわかる会議 2022 テーマ1
開催概要
タイトル | 3.11の今がわかる会議 2022 |
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テーマ1 | 地域コミュニティの現在地 〜11年目の現状と課題〜 |
日時 | 2023年1月15日(日)13:00-16:00 |
会場 | オンライン(宮城県東松島市あおい地区 西集会場) |
参加者 | オンライン65名(参加者54名、登壇者4名、スタッフ7名) |
主催 | 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN) |
助成 | 復興庁コーディネート事業 |
協力 | 特定非営利活動法人いわて連携復興センター 一般社団法人みやぎ連携復興センター 一般社団法人ふくしま連携復興センター 一般社団法みちのく復興・地域デザインセンター |
資料 | テーマ1 登壇者資料ダウンロード(PDF) |
プログラム
開会
栗田暢之(東日本大震災支援全国ネットワーク 代表世話人)
テーマの趣旨説明
三浦隆一(JCN宮城担当)
- 災害とは? 災害とは/災害の要因/災害への脆弱性・地域コミュニティとは?
- 地域コミュニティが持つ役割/被災地における地域コミュニティの分類
- 「震災を契機に0(もしくはマイナス)からのコミュニティ形成」・復興のフェーズと支援内容について
- 初動期/避難所期/仮設住宅期...情報把握のための支援、支援者の入れ替わりも激しく関係構築が大事な時期
- 恒久的住まいへの移行期...中長期を見据え、災害支援団体から地域の団体へ支援の主体の移行が進む。支援調整や体制整備などが行われる。
- 住まいの再建後...時間や住居の指標とともに住民一人一人の心のケア、地域コミュニティの力がどうなったのか把握する必要がある。
登壇者から報告
コーディネーター:三浦隆一
【岩手】黄川田美和 氏(NPO法人陸前高田まちづくり協働センター)、大和田智一 氏(株式会社寿広)
- 大和田さん)陸前高田市営住宅管理センター、自治体からの委託で公営受託の管理を行っている。
- 黄川田さん)「住民が主体となって活動している地域をつくる」そのために人が多かった時期から今の現状では自治会や町内会の仕組みが違うと考え見直しのサポートをしている。
- 企業とNPOの仕事の違い。「自治会機能の見直し」や「話合い」をサポート。そこに住む人たちの想いをカタチにする。つくらされた自治会では意味がない。
- 「市営住宅の管理運営、施設管理、各種手続き、修繕などに関わる相談対応などの委託を受けて仕事」昔からの自治会と違い住民の入れ違いもあることから自治会形成が難しい。着任初年度は消防訓練の参加は10人だけだった。
- 市営住宅の4分の3は共同住宅
- 公営住宅10団地596戸+被災前からある市営住宅234戸
- 自治会の現実
- 同じ境遇の人たちの集まり...仮設住宅から新しい住居を求めて集まった
- 住民の入れ替わり...再建または家賃の値上がりの為引っ越し。5割が被災関連、残りが一般という現状
- 一部の人たちの負担の増加...不平不満が大きくなる。役員体制の変更が出来なくなる。自治体としての一体感がなくなる。
- 2人の共通の課題として関わりたくても関われない。大和田さんは住居管理という立場から住民さんの悩みを聞くことはあっても深く関わることが出来ない。黄川田さんは自治会へつないでくれる人がおらずなかなか支援することができない。
- チームになれた。自治会をつなげる人、関わりたい支援者、ノウハウを持つ支援者
- 関わった自治会はさまざまな課題を抱えていた
- 消防訓練を活用したコミュニティの醸成
- 誰かが決めたのではなくみんなで決めたというプロセスを大切にしてほしいということからまずは話し合うことから決めた。
- 少しずつではあるがバラバラだった住民がまとまることを始めた。
- 若いお母さん方も頑張ってくれたから、小さな子ども連れて参加できるような環境になってきた。
- 一度の成功は次の課題解決に向けた一歩に過ぎない。同じことが繰り返しできるようになったら、もっと難しいことに挑戦できるようになるはず。
- 自治会のサポートはこれからが本番。
- 管理会社だけではできなかったが、支援団体や住民さんと横の繋がりを作ることができ今後に繋がっていくと思う。
(三浦)震災直後はもともと集合住宅に住んでいない方の入居が多かったのではないかと思うが、それが徐々に家賃上昇や入居制限の緩和により新たな住民も増えている中でコミュニティ形成の難しさとは?
(大和田)当初は市の方で自治会長さんの指名があり、組織していた。その頃は忘年会や盆踊りなどのイベントがあった。自治会長さんの変更もおり、新たなコミュニティづくりをしなければと思い方が多かった。途中で入居された方はどうやって関わったらいいのかということもあり、子育て終わったら退去するからということで関わらなかったりという方がいた。スポットが高齢者にあたりがちだが、市営住宅=セフティーネットでもあるので年齢が若い方でも障がいを持っていたり、ひとり親で子育てされており忙しい方もいたり、さまざまな理由を抱え入居されている方も増えた印象。コミュニティの集まりにくいということも自治会側で感じてしまいイベントの回数を減らすことを考える役員もいる。
(三浦)住む方が大きく変わっている中でコミュニティ形成の支援の難しさが伝わった。
【宮城】小野竹一 氏(東松島市あおい地区)
- 東松島市津波被害にあった。1110名が亡くなり、24名が今も行方不明。
- 流されてきた船のマストの部分にあるのが小野さん宅
- 避難所・応急仮設住宅へ
- もともと580人が暮らしていたまちの集団移転
- 整備協議会を立ち上げ、38名の役名を各行政から最低でも1人を選出
- 日本1のまちづくり➀20~30年後子どもたちに残す②亡くなった方の魂が帰ってくる➂支えてくれた方たちにお礼の意味を込める
- 何を検討したらいいか専門部会を設けた。(各5~6名)
- 井戸端会議(ワークショップ)にてさまざまなことを議論した
- 季節が感じられ個性あふれる公園 4か所公園を作り使用目的はすべて違うものにした。
- 個別に家を建てる世帯の区画決め。抽選会は行わず、話し合いで決めた。
- 街並みルールの条例化(ブロック塀禁止、隣の家とは1.5Mなど)
- 新しいまちの名称「あおい」293点の公募から選考委員会で10点に絞り会員の投票によって決めた。中学生や高校生も加えて協議を行った。
- コミュニティ形成促進への取り組み。回覧板の班とごみ収集所の管理。役員。班長・副班長制。
- 2016年4月にハード面の整備が終了したことから自治会の設立に向けて体制整備協議会を解散し、あおい地区会へ移行。
- 高齢者見守り部会
- 公共施設管理部会
- 研修・イベント部会
- あおいペットクラブ
- あおい地区の事業婦負用
- 高齢者見守り(社協が行っていたサポートセンター事業を自分たちでやっていこう)
- あおい農園作業により介護予防
- 住民がまちづくりに参加する機会づくり
- 子供たちもイベントの企画をする機会
- 2019年3年連続快適度日本一になった
- 3年目で「住まいのまちなみ賞」宮城ではじめて授賞
- 見守り、JAICAの研修受け入れなどSDGS17パートナーシップで目標達成に選ばれた。
(三浦)2011年5月くらいから東松島社協の臨時職員として災害ボランティセンターで約8か月務めていた際に矢本運動公園に仮設住宅ができるということで地域清掃をしたことがあった。12年目のこのタイミングで小野会長の話を聞くことが出来たのは個人的にすごく考え深い機会だった。日本一にしようと話した時の小野さんの中での日本一は何だったのか?日本一の実感は伝わったのか?
(小野)整備協議会を立ち上げて住民とどんな街にしたいのか話し合いをするときに、自分が発言することが日本一に繋がるような発言・意見をしてくださいというお願いをした。役員になった方にも日本一になるかしっかり聞いてそれを行政に届けようという想いがあった。
実感はあるのかという部分でいうと役員や班長は実感があると思う。高齢者の方々が多い事で見守り体制を整備した。家族からはもう施設に入れましょうと言われたのを近所の方が一緒に見守るから施設への入居を延ばしてみて、まちで亡くなりこのまちに住んで良かったと思ってもらえばさらに実感を持っていただけるのではないかと思う。
(質問)現状での課題を一つ挙げるとしたら何でしょうか?
(小野)新しい町なので伝統がまだない。20年後30年後まで続くような夏祭りやイベント含め伝統的なまちづくりが課題になってくる。
【福島】池崎 悟 氏(社会福祉法人 浪江町社会福祉協議会)
- 浪江町出身、震災前は自動車整備の会社をしていた。震災後に役場臨時職員を経て、社旗福祉士を取得し現在は社会福祉協議会へ勤めている。
- 浪江町は震災前21,434人(7,671世帯)が暮らしていた。
- 震度6強と15M以上の津波
- 死者・行方不明者は183人
- 原発避難によりH26年3月11日からH29年3月30日まで全町避難、現在の解除部分は全町の3分の1程度
- 6年間誰も住んでいない町、まだ3分の2は帰れない(帰宅困難区域)状況
- R4(住民表を置いている方)15,702人、町内居住者は1,917人、(525人は震災後に新たに居住)
- 教育:にじいろこども園(35人)、創成小学校(25人)、創成中学校(12人)
- 町内比率でいうと5%になりまだまだ子どもは少ない状況にある
- コーヒータイム(就労継続支援B型)
- 地域課題 高齢化率約40%(全国平均30%)
- 当初は元気な高齢者が帰還したが、6年が経ち元気ではなくなる。医療機関、介護施設不足により再町外転出。
- 区長が町外滞在であったり、転出により行政区・部落が崩壊。
- 居住者の情報不足。近隣との繋がり不足。
- 空き家、背丈よりおいしげった草木が至るところにあり、動物の住処になっている。
- 復興関連の転入者もコロナにより雇止めにあっており、困窮へ繋がっている。雇止めに合い寮や社宅も追い出され住居の確保が問題に上がっている。
- ホームレレス問題。賃貸物件不足。賃貸金額の高騰
- 社協の取り組み。県内に4か所、関東に1か所を事務所を設けており、町外に住む町民の支援を行っている。
- 避難中は仮設住宅の訪問。完全な抽選で入ったため隣通しがお互い分からない。そのため居住情報を収集していた。
- デイサービスでは1日10名程の方が利用してくれている。
- 同じ趣味の方を集めるサロン活動に力を入れている。今では町民主催で開かれるようにもなった。
- 2025問題で医療・介護保険が受けられない人もいるのではないかと危惧している。
- 人と人の繋がり、助け合って暮らせるまちになればと活動している。
(三浦)当時10歳の次男さん、13歳の長男を堺に浪江への愛着が違う子どもに育っている。池崎さんの500人が新入居の内訳はどんな感じか?
(池崎)基本的には復興関連、一度崩壊したまち良いまちにしようと志を持った方もいる。そんな方たちもこんなはずではなかったと出ていく人もいる。
(質問)市民サロンのきっかけ作りには関わられたのですか?その場合どのような形で関わられたのか?
(池崎)基本的には社協主体。会場・備品の準備など始めは社協で行いそこからキーパーソンを探し自主運営に繋げられるよう、会場の予約の仕方や1年間は社協から備品を貸せるという申請などをお伝えし自主運営するところまで引き継いでいる。
(三浦)制度ではなく人と人を繋ぐことに行きついた(感じた)きっかけはなにか?
(池崎)近所のおじさんおばさん面倒見てくれたり、叱ってくれたり、昔の古き良き時代に持っていきたいなと個人的には考えている。
パネルディスカッション「未来の話」
コーディネーター・栗田暢之(JCN代表世話人)
(栗田)3県の良さが出ていた発表だった。陸前高田は話合うことから始めて、誰かではなくでみんなで決めたそのプロセスを大切にしてきた。バラバラだった自治会がまとまり始めてきたという点でとんな関わり方をしてどんな魔法をかけたのか?(黄川田)大和田さんが自治会の一人一人と繋がっていたのでまずはついて行くというところから始めた。私たちにできることは多くない、みなさんが住民同士でお声がけをしないとなにも始まらないですと伝えていった。スタート時点では人が集まらなかった定例会も徐々に集まるようになり、住んでいる人たちにお願いしていったというイメージ。
(大和田)集まらないことに苦労していた、そこへ外からの支援をしてくださったことで進んでいけたのかなと思う。管理業務としては自治体の立ち位置なので自治会には助言程度しかできない。一緒に深く関わってくれる支援団体がいたということ。自治会のみなさんもどう考えたらいいかがまずわからないという自治体もいるので一緒に考えてくれる。立場上支援できない部分をしてくれることで今年度は特に車輪が回り出したと実感している。
(栗田)大和田さんは陸前高田の方?
大和田)元々陸前高田出身で震災後にUターンした。
栗原)どうしたらいいか悩みつつも故郷を思う気持ちが多分あって、市営住宅でトラブルがあって聞く役割を担ってそこで少しずつ町でも声を掛けられるようになった。それは大和田さんが丁寧に活動されていたからだと思う。そこへ黄川田さんが現れたと思うが、2人に共通しているのは住人1人1人に丁寧に声掛けをし繋がり作りをしていたんだなと感じた。少しずつでも丁寧に活動していたことが今糧になったのではないか?
(黄川田)その通りだと思う。
(栗田)コミュニティや自治会の大きなものを最初から見るのではなく、1人1人と子のまちを作っていきましょうということが原点にあると思う。小野会長もそうだったか?
(小野)まずは自分の知っている方にお願いする。その方から次に繋がっていくようにお願いする。例えば、仮設住宅の8軒長屋の時には、1人に声かけ隣の人に伝言お願いねということから繋がりが出来ていた。
(栗田)少しずつ粘り強く対応していくことが大事。
(池崎)小野さんのような方を発掘するのも大事だなと思った。
(栗田)なぜ東松島のお祭りがねぷただったのか?
(小野)2011年の10月に青森県のライオンズクラブが視察に来た際に3日間宮城県内を案内した。最後に自分の家を紹介した。今まで案内してもらったところの被災状況もすごかったが小野さんの家付近の被災が一番ひどい、そんな中よく案内してくれたと繋がりができた。仮設住宅でイベントをするときになんでも支援する。その繋がりで2011年12月に自治会主体でクリスマスパーティーをするつもりだったのでその企画にリンゴを1000個(400世帯に2個ずつ配りたい、残りは子どもたちに)ねぷた=鎮魂の行事ということでねぷたを見せていただけないかお願いし、6月に開催した。目的、理由をつけてお願いをしたから協力していただけた。
(栗田)してあげるという支援より、まちの自主性を尊重してそこに乗っかてくださいと言い切る小野さんもすごい。
(小野)2012年のお花見会からキッチンカーも今後につながらないから無料はやめてくださいとお願いした。
栗田)子どもたちを主役(中心)にしたのはどんな発想から?
(小野)子どもたちを使うことによってトラブルが起きないということもあった。例えば、物資配布する際も大人が配ると文句を言う方もいた中で、子どもたちの力を仮設、避難所生活で発揮してもらっていた。
(栗田)子どもたち主催のハロウィン、伝統がないと話していたが伝統も今作り上げていく過程は楽しいだろうなと思う。
(小野)ねぷたはあくまでも青森の伝統、あおいの伝統の夏祭りは何がいいか?2022年の夏に花火、盆踊り、など住民アンケートを取った。子どもが関われるもので数十年かけてつくりあげていこうと思う。
(黄川田)私たちもそんなふうにできたらいいなとすごく思う。これから作っていくものを隣の県にいるので一緒に見ていきたいなと思った。岩手と状況は違うけれど将来像に近い部分もあると感じた。
(大和田)今後、小野さんが引退となるときまでにしていることはあるのか?
(小野)県の助成金で事務所の人件費が出ているがどんどん下がっている。事務所機能があるから見守り活動も出来ている。これは先進事例になるのでお金を下さいと話ているがおりず、お金が出るなら新しい会長へと引継ぎもしていきたいが、新しい会長がお金の苦労させるのは嫌だ。陸前高田は近いので高齢者の方がしているさつまいもの収穫祭の際にぜひまた来て欲しいと思う。一緒にやることでお互いの活動の啓発にもなると思う。
(栗田)お金の話をされると頭が痛いがなんとかならないのか...?
(木村)支援団体も宮城、岩手も予算が2年終わり残り3年というところでどう自立していくかというところに来ている。助成金・交付金頼みのところもあるが、そこを解決していくために休眠預金の見直しや支援とお金の配分につなげていけないかなと思う。大きな流れの中でうまく活用していけるようにしていかないといけないと思う。
(栗田)復興予算があったところから次のステージへどうやって財源確保を含め展開していくのか、自治会は行政に守られていると思っていたが、小野さんの話を聞いて自治会も持続可能なお金が使えるようなを仕組みを作っていけるようにしないといけない。
(池崎)人を動かすのは目的・根拠をしっかりしないといけないのはその通りだなと思った。しかも魅力がないとついてこないと思うので小野会長から学べればと思う。
(質問)資金以外で、小野会長のノウハウや運営の動き方をどのように次の代に伝えているのか?次の担い手育成をどのようにされているか伺いたいです。
(小野)次の役員探すのが課題にどこもなっていると思う。70歳でも若い人はいて、75歳過ぎてもやれる人には続けていただく。次の候補として、町内イベントでお父さんやお母さんにテント建て、屋台で売り子など少しずつ役割をもって参加してもらえるように実働部隊の役員さんをまずは作るイメージ。こどもの育成会もまんべんなく声かけるのではなく、子どもと一緒に七夕飾りを作ってと声掛けをして協力してもらえるように取組をしている。
(栗田)人を動かす、役割を振るのが上手参考になる。福島では周回遅れの現状がある。子どもが72人。富岡では宝・希望と話されるかたもいた。浪江の復興とは池崎さんの人生の課題になっている部分もあるのではないか?
(池崎)組織側ではなく住民側に立ち、町民に近い存在になっていけたらなと思う。
(栗田)社協で行っているのに個人情報の関係で誰が帰ってきたか分からないのはおかしいと思う。
(池崎)私たちはデータでいただいているが、聞かれても誰が帰ってきているか住民に話ていけない。サロンはみんなで自己紹介しながら、帰ってきた方の顔合わせを行った。
(栗田)まちに帰ってきた人たちの近い存在に早くなるためにすればいいのに。せっかく起動に乗り始めたのに、雇止めに合うなど緊急小口資金も119件という多い件数。
(池崎)他の地域に比べても多い、日々追われながら対応した。
(栗田)最後のボランティアセンターでボランティアしたいというかたに声かけたら、住民の互助でしょと心強い言葉だと思う。
(池崎)社協という立場からボランティアセンターに県や全国社協に報告するが、こちらはゼロだよと言われる。生活支援体制整備事業で助け合ってやっているから問題ないと理解してもらっている。
(栗田)住民主体の互助をいちいち住民はボランティアと言わない。1人1人へ丁寧に向き合って活動されているなと思う。コミュニティという広く答えもない中で目的や狙いを考えながらまちを良くしていこうと取り組んでいると感じた。最後にどんなまちにしていきたいか?
(黄川田)自分たちのことは自分たちで考えられる、話し合えることが当たり前になっていてほしいなと思う。そこをサポートしていければと思う。自治会に限らず、そこに生活している人たちだけでは難しいこともある。生活していない私たちが入ることで丁度良いときもある。
(大和田)仕事上は共同生活を見ていることが多いのでコミュニティ形成に支援者が入ることで住んでいる人の気持ちが楽になることもある。生活に不安だなと思う方も減っている。コミュニティづくりに今後も関わっていけたらなと思う。
(小野)住民が住民を見守る仕組みは最後まで残していきたい。市営住宅に変わり人が入れ替わった時にまちができたときのありかたを知らないで入ってくるので理解をして住んでいけるように啓発活動できるまちを作っていきたいなと思う
(池崎)住民同士の支え合い。住民の弱みを知るのではなく強みで繋がれるようなまちを目指したい。
登壇者から一言
(黄川田)お伝えしきれなかったこともあり心残りがある。これからも自治会の活動は続いていき必要な部分で関わりを持っていきたいと思う。自治会の支援これからの活動も見守っていただければと思うので今後ともよろしくお願いいたします。
(大和田)支援されている方は徐々に少なくなっていると感じている。なかにはまず話してみないと何も始まらないと思ったところで黄川田さんと繋がったことが今後のためになっているなと感じているので支援者の枠を超えて地域に関わっている人と繋がっていけたらと思う。
(小野)聞いていただいている皆さんとも何らかの形で関わっていきたい。進んでいるわけではなく。まだ学んでいかなければいかないこともあるので皆さんと一緒にこれからも歩んでいけたらと思う。
(池崎)会場にいるみなさんやオンラインで繋がったみなさん、まだまだ支援してくださる方もいるんだなと分かったのも大きなことだったし、これからもいろんな方と繋がって住民支援していければと思い。
宮城タイム
山崎麻里子さん(一般社団法人 311伝承ロード推進機構)
- 全国の災害伝承と宮城県内の震災伝承施設
- 日本国内にもたくさん自然災害を伝える施設・石碑がある。
- 人と防災未来センター(阪神淡路大震災)
- 中越メモリアル回廊(中越沖地震)
- 熊本地震震災ミュージアム(熊本地震)
- 東日本大震災の震災伝承施設、津波石、看板なども含め309施設。
- 女川では当時子どもだった方たちがクラウドファンディングで資金を集め、町内に石碑を建立
- 震災伝承活動
<宮城県内の施設>
- 気仙沼向洋高校(震災遺構・伝承館):津波の威力を伝えるため当時のままの状態にしている。防災プログラムも、中学・高校生による語り部ガイドの実施
- 門脇小学校(石巻市震災遺構):津波火災、日ごろからの訓練で地域住民や子どもたちが助かった場所。
- 大川小学校(石巻震災遺構):学校の管理下における大きな被害があった学校。遺族の方による語り部ガイドを実施。子どもたちが生きた証を伝え、悲しい場所で終わらせるのではなく、ここで学んで命を守って未来を拓いていく。
- 石巻ニューゼ(石巻市):石巻日日新聞では輪転機が止まった6日間、多くの方へ情報を伝えようと手書きで新聞を書き町内に張り出した貴重な資料を展示。一部は報道博物館としてワシントン州にある。
- 伝承交流施設MEET門脇、東日本大震災メモリアル南浜つなぐ館(民間による施設):石巻の人がどのように避難したのか、アニメーションを用いて子どもたちにも分かりやすい展示がされている。
- 東松島市東日本大震災復興祈念公園、震災復興伝承館、のびる駅:曲がった線路で津波の威力を伝えている。
- みやぎ生協(自社ビルに設けた学習・資料室):宮城県全体の被災状況を展示、生協の繋がりでの市民同士の助け合いが分かりやすくまとめられている。
- せんだい3.11メモリアル交流館:市営地下鉄荒井駅直結(駅庁舎内)
- 仙台市荒浜小学校(震災遺構)子どもたちと住民が助かった場所。地域の昔の写真など震災に限らず地域の歴史を展示。
- 山元町中浜小学校(震災遺構):津波の威力を伝えるため倒れた時計がそのままの状態になっている。垂直避難で難を逃れたがそれ以上に津波が来ていたら...と今でも当時の校長先生が避難行動について悩み続けている。「学校」として震災から学ぶ。
- 宮城県には伝承館や震災遺構だけではなく新しくまちづくりや観光施設ができている。辛く悲しい東北の地だけではなく、復興でここまで元気になったまちの姿もぜひ見に来てほしい。
- 現地見学のお手伝い:1.宮城県観光連盟2.公益財団法人311みらいサポート3.一般社団法人3.11伝承ロード推進機構4.旅行会社
(富田)震災伝承に欠かせないものとは?
(山崎)人それぞれ伝えたいことや想い・体験がある。100人いれば100通り、施設だけでは見て終わりになってしまいがちなので地域の人にも会って、その人にまた会いに行きたいと思ってもらえると思う。
(富田)伝承施設に見に行った後にぜひ地域のみなさんにも会って、おいしいお酒、お食事しに東北へ来て欲しいと思う。
閉会挨拶
木村正樹(みやぎ連携復興センター 代表理事)
3県からそれぞれコミュニティ形成の事例を発表いただいた。岩手からは企業とNPOの連携によって進めるコミュニティ形成、宮城からは住民主体のまちづくり、福島からは帰還からこれからのまちづくりなど3県3様のお話をいただいた。これで終わりではなく、見守る、継続支援に今後も参加していただき、そして第2回、第3回の今が分かる会議へもご参加いただければと思う。