東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)

現地会議

3.11の今がわかる会議 2021 テーマ2:2回目

開催概要

タイトル 3.11の今がわかる会議 2021
テーマ2 「孤立防止とコミュニティ形成のあり方」2回目
日時 2021年12月18日(土)13:00-16:30
会場 オンライン(Zoom)
主催 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)
助成 復興庁コーディネート事業
後援 特定非営利活動法人いわて連携復興センター
一般社団法人みやぎ連携復興センター
一般社団法人ふくしま連携復興センター
一般社団法みちのく復興・地域デザインセンター

プログラム

来賓

復興庁参事官 中山理様

東日本大震災から10年が経過し、インフラ整備など着実に復興が進んでいる部分もあるが、コミュニティの復興と再生があってこそ、被災地と被災者の真の復興と言えるのではないか。本日の会議では、各地域でコミュニティ形成支援をしている発表者の方々からの有益な話が期待される。復興庁としてもNPOなど多様な主体と連携し、被災者の生活再建などを支援していく。本会議が被災地の現状を知り、東北の未来づくりを全国の皆さんと考える場となることを期待している。

パネルディスカッション

コーディネーター:東日本大震災支援全国ネットワーク 代表世話人 栗田暢之

今回は、東北の地から皆さまに現実を知っていただく。登壇者それぞれの地域でどんなことが起こっているのか、熊本地震における自立支援に関わっている高木さんからも発表いただき、被災をしての共通点など比べながら課題の本質を追求していきたい。超高齢社会かつ地域が希薄になっている現状の中、どう対応していけばいいのか、他人任せになっているのではないか。どこであっても身近な地域で起こっている課題が、災害によって顕著になっている。本日は、内閣官房の政策参与にNPOから呼ばれている大西氏にもお越しいただき、問題の本質を探っていきたい。まずは被災地の状況をしっかりと把握し、引き続き支援が必要であるというメッセージをJCNとして伝えていく。そして、今後の災害でも同様のことが起きるのではということにも触れていきたいと思っている。

岩手県:NPO法人ワーカーズコープ大槌事業所 所長 東梅麻奈美氏

岩手県大槌町で地域共生ホームねまれやを運営。多世代が通える場所として、通所介護、学童保育、障害サービスといった制度事業と、子ども食堂や買い物ツアー、サロンなどの地域の取り組みを行っている。私自身は、震災前は地域の活動にでたことはなかった。しかし、そんな自分でもできることがないかと思って活動している。制度事業をしているが、制度の手前の人や網の目からこぼれ落ちる人をどうにかしたいということを理念としている。線引きする運営はしたくないと考えており、利用者やそうでない人、支援する人される人というのではなく、みんな同じで、スタッフも助けてもらっているということを忘れないようにしている。ねまれやが全部やっているのではなく、ハブとして関わっている部分もある。子ども支援関係団体の集まりの中心を担ったり、子ども食堂の事務局や、地域住民と一緒にサロン運営をしている大槌支え合い協議会の事務局なども担っている。住民には力がすごくあるため、ハブになる誰かがいることによって地域が自発的に変わっていく。

これから起こり得る課題として、大槌町は震災によって人口が減り、若者の人口流出が増えている。身近で孤独死が普通に起こるようになっており、こういった課題は起きて当たり前だと思っていないといけない。コロナ禍によって、これまでつながりや居場所づくりを行ってきたところに、人と会うことが怖いという事態になってしまった。公の場が使えない状態になり、町内や自治会の中でも疎外感がすごかった。震災と同様に、元々あった課題がコロナ禍で浮き彫りになったと感じている。今後、コロナ禍が落ち着いても繰り返すであろうことを想定してやっていかないといけない。地域は変化し続けていくと思う。今日元気だった人が、明日は調子が悪くなることはあるし、そこにいかに伴走し続けられるか。支援者の育成や、支援者が余裕をもって関われることが大切。おせっかいができるキーパーソンが上手く連動していけるには、そのキーパーソンに関わり続ける人がいないといけない。大槌町では、ふるさと支援員や生活支援コーディネーターに20~40代のメンバーが入って頑張っている。若い人たちが仕事として責任をもって頑張っていける受け皿を作ることも大切。キーパーソンが高齢化していき、自治会も立ち行かなくなっていく中、体制としてあり続けることが大事であると思っている。

  • 栗田:ねまれやはワーカーズコープで事業所としてスタートし、通所介護や学童保育、日中一時支援事業、菓子工房などを実施されている。震災から5年後の2016年1月に開所したということであるが、東梅さんはその時に初めて関わるようになったのか。
  • 東梅:開所の何年か前に入団し、立ち上げにも関わっている。
  • 栗田:垣根を作らず誰でも来れるようにしたいということであったが、そう願っていても、最初は住民の方々も敬遠されていたのでは。
  • 東梅:施設っぽくない施設にすることが最初の目標だった。最初は地域の人も何ができるところかわからない様子で、「入っていいんですか」という感じであった。
  • 栗田:そこから少しずつ拠点になっていくために、子どもたちの放課後の楽しみの場になっていったり、地域に開放してきたことで、事業所ではなく公園や公民館のような機能を持っているように思う。また、場やイベントがあっても、どのように充実させたり、誰を呼んでくるかなど、コーディネーションできる人が必要で、それが東梅さんの役割であるのか。
  • 東梅:私というより、ねまれやが最低限したいと思っているところ。やりすぎないことが大事であるが、正直できない。様々なことを地域の人にお願いすると、「あんたたちできないでしょ」とやってくれたりする。役割を作る側であると思う。
  • 栗田:支援したいという人たちを生みやすい環境に持って行った感じでしょうか。「東梅さんを手伝ってあげなきゃ」という思いに皆さんをさせたのでは。
  • 東梅:地域の皆さんには力がある。ただ先頭をきってやるのはハードルが高いだけだと思う。
  • 栗田:コロナが落ち着いてきているため、元に戻していこうともしていると思われるが、震災と同じで元には戻らない側面もあるのではと話されていた。それはどういう意味か。
  • 東梅:100%には戻らないと思う。一度怖いと思った住民の気持ちとして、東京でコロナがでているというニュースだけで、大槌にはでていないのに外に出られないという利用者もいた。状況が変わってきているということが、ずっと家にいたらわからず、対策したら大丈夫ということもわからない高齢者もいたりする。人と人とのつながりが一番大事であると思う。
  • 栗田:そこは何とかこじ開けないと、本当に出られなくなってしまう。コロナによって人と人とが接することができなくなることに対して、何か手立てはあるでしょうか。
  • 大西:全国的にも民間団体は苦労している。居場所系の活動は止めざるを得ない。オンラインに移行できるものもあるが、それも人を選ぶ。コロナ禍で地域では今どんな活動が始まっているかの情報を知り、できるところは真似して新しいかたちを生み出していくしかない。
  • 栗田:コロナ禍における災害では、東京や愛知から来て欲しくないと、地元主体にせざるを得ない状況もあった。しかし、そうはいっても支援は必要であり、どう届けるか。今回の佐賀の水害では、佐賀の支援ネットワークがガイドラインを作成し、外部からは必要に応じて技術系や避難所対応ができる団体に限定し、現地入り前にはPCR検査で陰性証明をし、現地入りしてからも抗原検査や感染予防対策をしていくことで、条件をクリアした団体であると認められていった。やらないということはあり得ないが、自分たちでしっかりガイドラインやルールを作って守っていくことにより、やっていけるようにならないかと思っている。
  • 大西:そのようにしていかないといけない。ノウハウややり方の共有が大事。孤立の問題は深刻で、DV件数も過去最多となっており、支援を届けないという選択はない。支援をどう届けるかを試行錯誤しながら作っていくしかない。
  • 栗田:こういった状況では、ねまれやが倒れてしまうわけにはいかないのでは。
  • 東梅:私の今の目標は、私がいなくなってもあり続けるものを作らないといけないと思っている。
  • 栗田:一歩一歩やっていくしかない。感染対策のため、子どもと高齢者のサービスを別拠点にするなど、工夫をして止められないものは止めずに続けられている。苦労されながらも拠点づくりに頑張っていらっしゃる状況を伺うことができた。
宮城県:一般社団法人東北まちラボ 代表理事 橋本大樹氏

山元町の人口は震災前15,000人だったが、現在は12,000人で高齢化率40%である。津波によって地域の9割に被害があった3地区について、自治会再生のお手伝いをしている。地域が抱えている問題は、自治会行事の継続困難、イベントの参加人数が頭打ちなど、山元町だけでなく全国的にいえるものである。人口減少かつ高齢化社会である一方で、地域組織の数は減らないことで、一部の人への負担が極端に多くなっている。一人が何役も抱えており、PTAや子ども会、自治会など各組織でのクリスマス会活動が重複したりすることも。若者が参画しないという課題もあるが、若者の定義も様々で、私は地域では65才も若者であると言っている。コロナ禍については、山元町では感染が減ってきた10月くらいから交流会を再開してきている。感染症対策をして外で芋煮会をしたりすると、これまでの自粛の反動か、今まで以上の参加者があった。

課題の背景としては、少子高齢化や津波被害のあった危険区域を含めた耕作放棄地の増加、役員の担い手不足など、地域の課題は多様化していること。人口減少や少子高齢化といった社会構造の激変。若者と高齢者ではコミュニケーションの取り方や生活環境が変わってきており、地域コミュニティが変化している。そして、町を取り巻く環境も変化しており、地域の人口が少なくなると行政の人数も減ってくる。

今後起こり得る課題に対して、行政にも限界があるため地域の問題は地域で解決できる組織作りが必要となる。また、人口減少・高齢化社会にも関わらず、地域の数は変わらず、むしろ増えている地域もあるため、しっかり役割分担するのであれば、地域組織のスリム化をした方がよい。コミュニティも自治会が作るべきものなのか、自治会の在り方や地域組織の発想の転換も必要。人口減少の時代でどうしたらいいか誰もがわからない中、意思決定のプロセスは非常に大事で、可能な限り様々な人に参画してもらうことが大切。若者参画のためには、若者に頼って任せることが大切。これまでは生まれ育ってできた地縁、強いリーダシップのもとで自治会が運営されていたが、今は組織で何とかしていこうという時代に生まれ変わってきている。自治会縁だけでなく、サークル縁、学校縁、社会縁などそういったものを活用しながら新しい地縁社会を創出していく必要がある。

  • 栗田:チャレンジングな取り組みを10年間されている。橋本さんがやっているのは合意形成であり、お互いが納得する自治会の進め方になるようにと粘り強く動かれている。課題はいろいろあるが、上手くいった自治会はどれくらいあるか。
  • 橋本:上手くいったというと難しいが、向上心が高い地域と現状で満足している地域、関わってくれるなという地域にわかれる。何か行う際に自治会長や地域の人に集まってもらう場合、向上心がある地域しか来ず、支援が必要な地域は概ね来ない。その地域に支援が必要であるという課題はあって、そういった地域が明確になってきている状況である。
  • 栗田:頑張る地域とそうでない地域が2極化し、差が開いてきた感じか。本来は行政が街づくりのプロであるため、仕掛けていくのは行政の役割でもある。行政との関わりはどんな感じか。
  • 橋本:私としては、行政は街づくりのプロだとは思っていない。兵庫県行政の事例では、行政に今求められているのは専門的な知識ではなく、場を回すファシリテーション。街づくりの専門的知識が行政になると、異動などもあったりするため難しい。地域の人たちは正しい情報を正しいタイミングで渡せば、正しい判断をしてくれる。行政は正しい情報を持っているが、正しいタイミングで出すことが得意ではない。ある意味ではプロは行政かもしれないが、今回の会議に参加しているような専門家に対し、宮城県がお願いをするということはあまりなく、行政がやらなければという意識が強い。
  • 栗田:プロフェッショナルという意味のプロというよりは、それを仕事としているという意味でプロと表現したが、橋本さんが話されたように、ファシリテーションやデザインしていくことは行政だけでは難しい。一方で、行政側から「任せた」というようには山元町ではなっていないのか。
  • 橋本:なりつつあったが、震災が落ち着いたら行政でやらないといけないと戻っていった。
  • 栗田:今は橋本さんは一般社団法人として関わられているということであるが、もったいなく感じる。
  • 橋本:契約が切れたため、ある意味では自由にやりやすいという面もあると思っている。
  • 栗田:意思決定のプロセスを重要視されているが、若者をどうつないでいくか、何か事例はあるか。
  • 橋本:25世帯しかいない高齢化率も50%近い浜通り地域の事例。集会所を再建したことで、集会所でのコミュニティづくりに助成金がでて、自治会として夏祭りやクリスマス会をやろうという話になった。自治会長は皆にバーベキューを振る舞おうとしていたが、そこで若者から「補助金がなくなった後も場ができるように考えないといけない」という意見があった。我々もアシストして、振る舞うのではなく販売してみてはと話したところ、自治会長から「そこまで言うのであれば、自分が責任をとるからお前らやってみろ」と、いい意味で若者に任せてくれた。40~50代で夏祭り実行委員会を作ったが、同じ世代でやれたことがよかったとのこと。そこに60代以上の方が入ると、年配者は若者を応援したくて「あれやろう、これやろう」と言うけれど、若者にとってはそれが窮屈。若者は仕事もしているし子育て中でもあるが、自分たちのできる範囲をわかっており、その範囲で精いっぱいする。夏祭りの1ヶ月前から毎週集まって皆で検討し、会議の場では大枠を決め、残る詳細はLINEグループでやりとりする。若者はこのようなやり方をするが、70~80代の人たちが同じようには難しい。実際の夏祭りでは、25世帯しかいない地域に150人が来た。最初は半信半疑だった自治会長も喜んで、その後のクリスマス会なども若者に任せてくれて、その体制が3年続いている。これは極端にいい事例かもしれないが、大事なのはなぜ若者たちがやろうとしたかというところである。
  • 栗田:とてもいい話。しっかり合意形成を図ってやったということが大きいのでは。
  • 橋本:どれだけ皆さんが納得できたか。全部自分が決めたと全員が思えるようなプロセスを踏むことが大事。
  • 栗田:事例を伺う限りでは、手のかかることをしたわけではない。自分たちの夏祭りを成功させよういうことであり、これは他の地域でも学んだらできそうな感じがする。
  • 橋本:無理のない範囲で精いっぱいやるということは真似ができると思う。
  • 栗田:岩手のねまれやは、ハブの役割や事務局を担っていたが、まちラボの場合は、相談であったり伴走をされている。登場人物がいっぱいいても、それをつないで一緒に考えていくような機能が非常に重要であることが岩手と宮城の報告から確認できた。
福島県:NPO法人みんぷく 理事・事業統括 赤池孝行氏

孤立しやすい人の特徴は、男性・高齢・独居の方。仕事をしておらず、団地内や地域で役割がなく、趣味もないという結果、閉じこもりがちとなってその人の存在自体が見えにくくなり、何日も様子がわからなくなる。昭和時代の向こう三軒両隣といった親しい近所付き合いは今はなく、地域のつながり減少と家族関係の希薄化が進み、地域の支え合う力が低下している。

みんぷくは、誰かが誰かを気にかけている状況を作り出せるような働きかけをしている。健康維持や気分転換などを目的に、積極的に外に出られるように、サークル参加や立ち話などを通して人を見かけるチャンスや外部から存在を確認できる状態をつくっている。みんぷくの福島県からの委託業務について、2021年度の業務目標は、①自治会形成、②町内会への参加、③防災意識の醸成である。しかし、コロナ禍でこれまで以上に孤立や孤独死の問題が深刻化したため、孤独死防止の活動も提案して新たに追加した。

いわき拠点では、月に数回、郵便物の溜まり具合などを確認する見回り活動を実施。誰かがチェックしにくると不審に思われる場合もあるが、約7年関係を築いてきていることから、みんぷくジャケットを着たスタッフにねぎらいの言葉をかけてもらうこともある。南相馬拠点では、地域連携支援として近隣地区との関係づくりのために役員同士の顔合わせを実施。福島拠点では、自治組織設立や防災意識醸成、町内会加入、孤独死防止の取り組みを行っている。社会的孤立の延長線上に孤独死があるため、日常のつながりづくりを大切に活動。郡山拠点では、市役所の地域包括ケア推進課と連携し、コロナ禍でのフレイル予防として100歳体操などを取り入れた活動を実施。市内教育機関と連携し、復興公営住宅を地域の若者とつなぐ活動も行っている。

今後の課題は、高齢者のフレイル状態の増加。日本中で超高齢化社会が進んでおり、高齢独居が普通の状態になる。今、孤立していなくても状況は急変する可能性が高く、孤立や孤独死が自分自身の問題となる。そのため、社会的処方による孤立防止のための活動が重要性を増している。社会的処方とは、地域とのつながりを処方することで問題を解決するという考え方。うつ病患者を地域の趣味サークル活動とつなぐなど、地域資源を通して生活環境を変えて困りごとを解決するアプローチ。人々が抱える社会的課題を解決する手段の一つとして、地域の事情と地域資源の情報に通じるみんぷくのような存在を更に増やしていくべきである。地域のつながりについて、全国民で議論し合意形成していく時期は既に到来している。

  • 栗田:孤立孤独死はできれば避けたいが、避けられない面もある。人ひとりの命について、すぐに異変が見つけられるのと、一ヶ月経ってから発見される状況では、後者の方が残念。孤立孤独の防止に重きをおいて考えていかないといけない。しかし災害となると、みんぷくに任せっぱなしになるなど、自分たちの課題である認識が薄くなってしまっている感じがする。福島の課題は非常に複雑であり、この10年に震災関連自殺は240人。これを防ぎたい。先が詰まっていく関係性をどのようにつないでいくか、みんぷくではあの手この手でひっぱりだそうと頑張っている。郵便物の溜まり具合や窓から異常を見るというのは、他所からは不審者と思われがちであるが、7年かけて顔パスの関係になっている。大西さんは孤立孤独防止について、どう考えられるか。
  • 大西:うちの東京の団体では、連帯保証人や緊急連絡先の提供もしており、滞納等の問題が起きれば連絡が入って対応ができる。しかし様々な支援調整をしていても残念ながら孤独死される方はいる。未然に防いだり早期発見の条件を考えた場合、大家が同じ建物に住んでいたり、地域住民や賃貸の管理会社の人と関係性ができていると、「最近ゴミ出しに顔をださないので心配だ」という大家からの連絡で、見に行ったら倒れているのを早期発見でき、救急車を呼んで助かるといった事例があったりする。基本的であるが、地域の人たちのつながりでわかることは大きい。現状ではNPOの持ち出しや、地域の善意だけで対応している部分があるため、みんぷくのような活動をどう自治体や国が支えるかの両輪が大切。
  • 栗田:福島ではみんぷくが代表的に見守り活動をしている。橋本さんのところでは孤立孤独を防ぐような事例は生まれているか。
  • 橋本:地域の有志による見守り隊ができいるところがあり、毎月第3木曜日に75才以上の世帯への見回りをしている。しかしそれでも孤独死はでており、それは50代男性であった。地域だけでは難しいところもあると感じる。
  • 栗田:地域も重要であるがそれだけでは駄目で、セーフティネットは何層も重なっていかないといけない。東梅さんからは、昨日まで元気だった人が亡くなって驚いたという話もあったが、孤独死は深刻な課題である。それはコロナ禍が影響している部分もあるか。
  • 東梅:孤独死がこの夏から増えている。私自身もそうであるが、根本的に出かけることや行動を控えて、気づくと誰にも会っていない状況になってしまっている。この夏に、ねまれやでいつもお世話になっていた人が亡くなっていた。その1週間前までは自転車に乗って元気に来てくれていた人であるが、亡くなって1週間近く発見できなかった。要介護の人や利用者であれば、ケアマネや施設など誰かが気づいたであろうが、そうでない人で起きてしまった。大丈夫だろうと思っていた部分と、コロナ禍であまり頻繁に行けないということもあって、大切なことが抜けてしまったということはある。
  • 栗田:仕方ないとは言えないが、だからこそねまれやが大事だということではないか。みんぷくではあの手この手で出かけるきっかけをつくっている。男性・独居・高齢というキーワードがあったが、その方々は外に出るようになったか。
  • 赤池:単なるお茶会を何回も仕掛けても、出てこない人は出てこない。しかし、防災や防犯をテーマに、学びの要素を加えると男性の出席率も上がった。
  • 栗田:できる範囲で様々な工夫をしながら男性・独居・高齢という閉じこもっている方々に働きかけている。3人の登壇者からは、各県で実施されているハブ機能や事務局機能、見守り機能、伴走機能、相談事業など、NPOが様々頑張っている状況から、孤立防止やコミュニティ再生に取り組んでいる事例をお聞きした。これは全国で起こり得ることで、東日本大震災の被災地では全国より10年先にそういった事態に直面しているとも言われている。全国で起こり得るとするならば、我々は何に取り組むべきか、何をキーワードとしていくべきか。大西さんからアドバイスをお願いしたい。
  • 大西:コロナ禍によって全国的に外出できず居場所がなくなるなど、急に何回転もギアが加速した状況になっている。被災地の取り組みから学ぶことは多く、11月8日には政府と福島県主催の孤独孤立に関するフォーラムが開催され、みんぷくから福島の事例を話していただいた。孤独孤立の対策としては、被災者への取り組みが最先端事例であり、政府としてもそこからしっかり吸収しようと取り組まれている。ちょうどパブリックコメントが終了し、年内に正式決定する「孤独・孤立対策の重点計画」の素案の中には被災者という言葉が入っており、被災地への取り組みが重要なテーマとして盛り込まれる予定である。一方で何をやっていけばいいか。他の国をみてもこれだけ高齢化が進んでいるところはなく、どう取り組むといいかの答えがない。他の国のモデルが参考にならないため、自分たちで作っていかないといけない。それは誰かが作ってくれるものではなく、地域で皆で考えて作っていかないといけない。それが日本のグッドプラクティスや最先端事例となり、他の地域で真似をしていくものになるかもしれないと考えると、様々な取り組みを支えていかないといけないし、特に現地で活動する団体への支援を実施していかないといけない。
  • 栗田:ハブ機能や事務局機能、伴走機能や相談事業など、そういった中間的な支援を行うところが必要なんでしょうね。
  • 大西:地域の人にお任せというのも変な話であるし、中間支援組織に丸投げもおかしい。皆が自分事であると捉えて、どうしていくかをきちんと詰めていかないといけない。それぞれの現場での活動がきちんと続けられる体制をつくっていかないといけないことも間違いない。
  • 栗田:中間支援組織であっても、その根本として大切なのは東梅さんも言われたように、程よい関係を保ち、最終的には地域やその人が持つエンパワメントをどう高めていくかということ。また既存の福祉サービスにちゃんとつないでいく役割もあると思う。そのあたりは、熊本で実践している高木さんからもお話しを聞いていきたい。
熊本県:一般社団法人minori 代表理事 高木聡史氏

私は、2000年頃は自殺に関する電話相談ボランティアをしており、その後はホームレス支援NPOで相談員として活動していた。東日本大震災の翌年3月に伴走型ホームレス支援の集大成として、認定資格(伴走型支援士)ができ、その研修会で共生地域創造財団やPSC(一般社団法人パーソナルサポートセンター)による東日本大震災での伴走型支援を勉強。その5年後に熊本で実践するとは思っていないかったが、当時の知識とネットワークがあったから、よか隊ネットができたと思う。minoriは、前身であるよか隊ネットからみなし仮設支援事業部門が独立して出来た法人である。

minoriは、制度の狭間にいる方への支援をテーマにしている。貧困の中にあるそれぞれの原因にどのようにアプローチしていくか。世の中には様々なセーフティネットがあるが、当事者はそこに自分から歩いていかないといけない、それに付き添っていくのは誰か。現社会は核家族化などでますます孤立化が進み、個としての存在が中心となり、今まで家族や友人に任されていた部分の関係性がなくなっている。そこを何とか専門化していくことが伴走型支援というイメージ。

熊本地震で被災した益城町は、被害が大きすぎたことから、益城町地域支え合いセンターを社協だけでは対応できず、民間の看護師団体であるキャンナス熊本、地域で精神病院を経営し相談支援をしているアントニオ、ホームレス支援のminoriなど、社協に加えて現場のノウハウを持っている団体が集まって立ち上げられた。これは震災パラダイスだったと思う。最初の一年は、あらゆるNPOに広げながら会議が続けていた。しかし平時に戻っていくにつれて会議が狭まっていったことは残念であった。

支え合いセンターでは、熊本県下に散らばった被災者をアウトリーチ訪問しながら相談対応を行った。20~25%の方々に常に問題があり、見守り支援が必要であると考えていた。特に支援が必要な方は5~7%いる状況。最初は多かったが、数年経過して見守り支援が必要な方は12~15%に減少し、その割合は、民生委員が地域で気になる世帯と同じくらいのパーセンテージだと言われれている。このコロナ禍によってコミュニティ支援の活動が全く実現できず、災害公営住宅でも顔合わせ会ができないまま2年が経過してしまい、実態が見えなくなっているのが現状。そのため熊本では、原点に立ち返り、個別訪問で話を聞くことがもう一度必要なのではと考える。

気になる方への継続支援の中で、病院への緊急搬送に立ち会った人が3名、そのうち2人は行っていなかったら命が危なかった。コロナで仕事を失うなどし、自宅の再建プランが狂ってしまっているケースもたくさんでてきている。もう少し早く介入できる可能性があるし、そうしなければ命が危ないケースもある。行政的に考えると、家族を中心に、町内、学校と同心円的につくられるコミュニティが語られる。しかし、我々が関わっている方々は、電話一本でお互いの安否を確認していくなど、全く別のかたちの文化圏で出来上がっていくコミュニティであり、それもものすごく大切だと思う。様々なコミュニティが重なり合って、それぞれのコミュニティに関わる専門家に誰かがつないでいかないといけない。困窮者支援や伴走型支援を得意とする人、福祉のベテランとして各地にいる人など、あらゆる問題に介入できる人がいることで安心をしてもらい、コミュニティにつなげていく最初の一歩として民生委員などが声をかけるきっかけになるといいと思う。コロナ禍では生協の配達が助かっている。コロナ禍でも人は髪を切りに行くし、肩が痛くなったらマッサージを受けに行く。そういった職能団体と協力し、認知症サポーターや自殺防予防ゲートキーパーや、我々の存在を共有してもらい、気になる方がいればつなげてもらえるといい。共助の部分を支えるのが、福祉のハブであったり伴走型支援である。そこを支える予算がつくと、問題が小さいうちに介入できるシステムができると思う。

  • (栗田)高木さんはホームレス支援など生活困窮や様々な課題を抱えた方々に寄り添ってきたが、熊本地震で団体を立ち上げた。
  • (高木)地震が起こったから団体を立ち上げざるを得なかった。困窮者支援のNPOの常で、上層部が喧嘩をして小さい団体に別れていっていたが、大事の前の小事であるから再度集まろうと、皆それに賛同してくれたことはよかった。
  • (栗田)災害では一時的に皆で頑張ろうという力が働くため、そこが働き団体を立ち上げた。様々な活動をしているが、益城町の地域支え合いセンターが象徴的。様々な団体が関わり、専門的なつながり含め活動され、minoriはみなし仮設を担われた。残念なのが、この形が終わっていくこと。
  • (高木)自由に参加できる会議だったのが、災害後ではなく平時だからということでハードルが高くなっていったのはもったいないと感じていた。私自身は震災前から同じ仕事をしているが、震災前は運動系団体や弁護士会以外からの理解はなかなか得られなかった。震災を通して皆さんと大きくつながりあえたし、我々が役立てることを理解してもらえた。平時に戻るということでこの体制が縮小されるのは非常にもったいない。平時に戻るのではなく平時に対する近代的なハブであり、KVOADが実施している火の国会議も下支えする存在としてあるからこそ、今回の豪雨災害も乗り切ろうとしている。平時だからと見捨てていかず、このつながりをいかに活かしていくかが共助の鍵になる。
  • (栗田)KVOADとは、熊本災害支援ボランティア団体ネットワークのこと。災害時は社協の頑張りによって災害ボランティアセンターが立ち上がり、一般のボランティアが活動する。東日本大震災では様々なNPOが支援をしたが、横軸がなかったのではということが反省点だった。minoriの活動や子ども支援といったさまざまなNPOがそれぞれ頑張っているが、そこの横軸を刺すため、熊本地震では実数で300団体が集まる情報共有会議(火の国会議)が開催された。中間支援組織であるKVOADが、熊本地震から5年経過した今でも火の国会議を継続している。その一方で、制度としての地域支え合いセンターは終わっていく形になってしまって、もったいないという話。minoriがやってきたことは、みなし仮設に訪問して一人ひとりの状況を把握し、見守りのランク分けもしながら本当に大変な方々を下支えして伴走してきた。しかしコロナで活動ができなくなったというのは、東梅さんの話と同じ。せっかく築き上げてきたが、人が集まれず、もう一度つなぎなおしが必要だと実施したら緊急搬送の事例もあった。
  • (高木)地震から5年となると、5年前に立てたプランから考えて、この5年間で様々なことが起きるし、本人も5才年をとる。高齢者が多かったり、経済的基盤が不足の事態で変わっていくことは沢山起きてくる。それは平時と言えるのか、まだ災害後ではないかと感じる。
  • (栗田)見守りが必要な世帯が、minori調査で最初は22.2%、コロナ前までには13~14%に減っていった。それが地域の民生委員が把握する数値と似ていてそれが地域の状況と話されていたが、大西さんにもそうなのかどうか伺いたい。
  • (大西)地域によって違いはあるが、2割近くいるのではということはよく言われているところである。
  • (栗田)結構多いと感じる。
  • (高木)困窮者支援者は、災害以前もそういった方々にどうアプローチをしていくか、様々な傷を抱えている方々に対する入口をどう模索していくかの窓口として苦労してきた側面がある。我々に丸投げしてくださいというのでははく、最悪の場合は関わるので、それ以外の方は我々がやっていることを参考にしてもらっていいですかというかたちでつながっていくのが一つのコミュニティのかたち。
  • (栗田)minoriがやっていることはどんなことがあるか。
  • (高木)面談と電話掛け、様々なサークル活動の紹介やつなぎ、依存症であれば自助グループや医療機関などの複合的なつなぎもしている。
  • (栗田)つなぐと言っても、なかなか難しいのでは。
  • (高木)ここが駄目だったら、じゃあどこがいいというかたちで、全てをカスタム化していくことが伴走型支援。やりすぎは依存につながるため、最初は関係性をつくるためやったりもするが、だんだん外していく。ずっと依存して嘘をつき相手を利用しようとする人は必ずいるため、それに傷ついて「もうこんなことしない」と思わず、「そんな人がきたらminoriに振ってください」ということで下支えができれば、人のつながりがタフなコミュニティになっていく。
  • (栗田)その人の人生で、いろんな経験をつまれてその場にいる。そういった人を支援する側は、高木さんの言葉でいうと、その人となりを理解しないと伴走なんてできないということ。
  • (高木)一番最初は関係性であり、一緒に走っていいなという関係性が重要。
  • (栗田)福島の場合はさっきの見守り数字はもう少し多い気がしますが、赤池さんどうでしょう。
  • (赤池)感覚的には同じかそれより少し高いかというところ。
  • (栗田)故郷を失っている。災害で何もかも失ったということはかなり酷である。高木さんからは組織論の話もあったが、責任を持つのは専門家なのでしょうか。
  • (高木)制度の狭間の方や困窮者となると、大抵の場合は断らずに話を聞いてくることになる。最近気になるのは、一人暮らしの認知症高齢者が自分が誰かわからず警察も対応に困って、「minoriのシェルターが利用できないか」と言われるが、その方が誰かわからないとこちらも責任が持てなくなる。警察が病院に同行する形をとるなど、警察の特性を活かすいろんな方法があるが、そのノウハウを警察が知らない。警察が役所の福祉課に押し付けてしまい、福祉課が公園に置き去りにして警察に電話するといった悲しい事件も愛知であったが、こういった場合こうするという知識を我々はある程度持っている。連携している病院もあったりするため、一緒に考えることは常にできると思う。
  • (栗田)最後の最後は高木さんのような専門的な人たちが支えるが、普段の支えは近所の人や大家、管理組合、みんぷくのような団体ということ。あと生協も個配を通じてのつながりである。
  • (高木)生活圏の中に必ずあるつながりをいかにアウトリーチにつなげていくか。床屋や整体師は相手の身体に触れ、話の楽しさもポイントであるため、人としてのつながりが深くなっている。
  • (栗田)他に新聞配達や郵便など、社会にはたくさんある。
  • (高木)社会の福祉的な意識が高くなると、我々がつながる要素もでてくる。対応に困った場合はいつでもminoriに電話してくれればいい。その電話には必ず答える。それによってコミュニティのタフさがあがっていくと思う。
  • (栗田)社協も頑張ってはいるものの、制度としてももう少し深堀して欲しい部分もあるか。
  • (高木)我々に電話がかかってくるし、こちらは手弁当と給付金でやっている。
  • (栗田)しかし社協側から話を聞くと、何でもかんでも社協になっていて大変である。
  • (高木)問題意識と熱意をもって動くのがNPOのいいところである。社協の負担を減らすためには、その分野のスペシャリストとして育っている我々との協力体制をいかにつくるか。地震があったことは、ネットワークの成長にとってはとても良かった。その大切な遺産をいかに無くさず続けるか。こんな素晴らしいものであるということをきちんと伝えたい。
  • (栗田)東日本大震災や熊本地震で、せっかく培ってきたNPOや様々な人のつながりや実績、関係性は一朝一夕でつくられるものではない。この10年積み上げてきたものをどう次に継承していくのか。東梅さんが先ほど「私は辞めたい」と言われたのは、人材養成をして循環を作っていかなければいけないということであると思う。そういった体制づくりができているかというと、難しい状況であるということ。まちラボの場合、せっかく行政といい関係できていたが、これで終わりということで戸惑ったという話も。今まで培ってきたものがもったいない。孤立・孤独、コミュニティ形成を今後も継続していくために、どのようなことが必要なのか、思うところをそれぞれからお聞きしたい。
  • (高木)自殺予防ゲートキーパーは国の事業であり、興味がある人ならだれでも受けられ、精神保健福祉センターなどいろんなところで研修が実施されている。意識が高い人が受けているため、活かそうと努力をする人たちが多いと思うが、活かす場としてminoriやハブである機関とつながっていくことは非常に大切。想いのある人材を活かしていくためのアイデアを皆で考える動きが大切であると思う。
  • (赤池)課題があまりにも大きく、NPO単独でできる範囲は限られているため、いかに多くの同じ方向を向く人たちと連携するかがポイントであると強く感じる。総力戦であり、この分野はこの団体が得意、こういった専門職もいる、こういった地域資源もある、それをマネジメントするような組織をどんどん育てて、いつでも力を注げるような仕組みを急いで作らないと間に合わないと感じる。力を合わせてやるのはまさに今である。
  • (橋本)地域運営でも個別支援であっても、地域の人が困ったという時に行政や社協以外にも「助けて」と言える組織団体をどれだけこちらが増やせるかどうか。行政や社協しか頼り先がないという時代ではなく、ネットワークなどもあるため、地域の人が困っている時に別の団体にも助けて欲しいと言えるような地域社会になっていくといいと感じる。支援をしたいと思っている人たちはたくさんいるが、それをやれる制度がない。地域の人からすれば、震災があって復興まちづくりをしようと思った人はあまりいない。震災があって自分のものがなくなり、イチから新しいまちづくりを始めようと思ってやっている人たちであり、そこに復興の線引きを引かれてもという感じはあると思う。制度の場合、3年計画といった線が引かれるのは仕方がないが、臨機応変な対応も必要。専門家としては、ここで平時に切り替わるという指標を作る役割はあるかもしれない。しかしなんでもプロセスが大事であり、やっていくには皆さんの力が必要である。
  • (栗田)地域は連続してある一方で、財源が平常時と災害時と別れすぎである部分もある。そこの制度設計をどうしていくかという課題も含め、広がりを持たせるためには財源も必要と言える。
  • (東梅)制度があっても使えない人やつながっていない人は絶対にいて、そこにつなげてあげられる人、専門職でもないが助言ができる人など、いろんな濃さや太さのつながりが地域の中に無数にあるイメージが必要だと感じる。昨日まで大丈夫だった人が今日赤信号になっているというところにも対応していかないといけないため、絶対大丈夫、絶対昨日と同じということはこの先ない。そこを察知して相談できる人、対応できる人、繋げられる人が必要。ねまれやでは高齢者から子どもまでを対象としているが、専門職ではないと思っていて、何かあった時に誰かにつなぐ役割であると思う。ゆるやかに関われるというところをこれからも続けていきたい。
  • (大西)平常時と緊急時とあるが、平常時も結構なピンチである。それが震災やコロナ禍によってあぶりだされているだけで、平常時と切り離せない部分が生まれている。益城町のケースでは、緊急時だからオール熊本で支援機関がみんな頑張った。しかし平常時もそれが必要。平常時なると、生活困窮者支援や地域包摂社会など支援が縦割りになって、急にお役所仕事のようになってしまう。平常時から体制をつくって支援していかなければならない厳しい状況であることを改めて認識し、共有していく必要がある。そのためには、もっと現場から発信をしていく必要がある。また、人材育成含めネットワークをしっかり作って支援をしていくことについて、緊急時は予算がつくが、平常時はつきにくいという部分をいかに整理していくか。様々な現場の課題や実践の情報を、もっと世の中の多くの人に知ってもらいたい。赤池さんが話されていたように、オールジャパンで取り組みが必要な時にどんな実践がしていけるか、政策にどこまで取りこめるか。コロナ禍で孤独・孤立が注目されていて大臣もついているが、景気が回復しコロナが収束すればなくなってしまうかもしれない。それくらい政治は不安定なものであるが、景気が回復しても重要なテーマであると、地域での孤独死の問題が日本社会にとって大事であると、様々な現場から実践化されながらしつこく発信していくことが大事である。
  • (栗田)東北被災3県や熊本からの話もそうであるが、災害によって生まれた支援をしようとする人たちのせっかくのネットワークを壊してはいけない。むしこ今後に活かしていかないといけないというのがこの11年目である。継続させていくためには、一つひとつのNPOがしっかりと活動していく必要があるが、そこには財源を含め、どう制度設計をして持続させていくのか。その一方で、一つひとつのN'POが頑張るだけではだめで、コーディネーションやマネジメントをして連携体制をつくっていくようなところが不足しているのではという指摘もあった。そもそも災害時だけでなく平時もピンチであるため、平時からこうした取り組みが東日本大震災や熊本地震での経験を糧にどんどん広がっていく力が必要であり、JCNとしても発信していかないといけないと感じた。

バズセッション
テーマ:孤立防止やコミュニティ形成の在り方における課題に対して、今後、どのようなことが必要か?(私たちが考えるべきことは?)

砂子氏(i-くさのねプロジェクト)

孤立について社協などがいろんな取り組みをしてくれているが、一般の私たちは参加しにくかったり、自分事ではないような気がしたり、難しそうで入りづらいという話をさせてもらった。とにかくいろんな活動にチャレンジしてみて、どんな人でも参加できるような場が地域で沢山でき、それがつながっていくといい。震災から10年で「もう10年だから」と、プロジェクトが終わってしまったり、理解が得られなかったりで、私自身も悩んでいたことがあった。それに対して、復興は長くかかることで、普遍的な人とのつながりがあることで切れることはないというアドバイスもいただき、すごく勇気づけられ、参加してよかったと思った。

前田氏(日本生協連)

東梅さんが最後に話された専門家でない人の役割や存在意義について共感した。生協についても今日は褒めていただきありがたかったが、宅配という事業的側面があると思っている。それでアウトリーチができることも強みの一つであると思っているが、メンバーシップの組織であるため、一般の方々がいかに寄り添って、しかるべき時にその人が問題解決をすることはできないかもしれないが、寄り添いながら伴走的に関わっていける、そういったあり方を生協組合メンバーの中でもどう追及できるのかが大切であるかを感じた。グループの中では、専門家やそうでない人たちもひっくるめて、どう増やしていけるかを考えていくには、日本の中で中間支援的な、総合的に有機的につなげていく動きがでてくるようにファシリテートしていく制度が十分にないのではという話があり、そういった議論を皆さんと深めていけるといい。

森本(RSY)

東日本大震災をきっかけに災害支援に関わり、広域避難者支援を担当しているが、避難者の中には外国人の方や母子家庭、障害のある方などいろんな方がいる。それぞれの話を聞く中で社会にはいろんな課題があることを気づかせていたき、今回のような会で学ばせてもいただいている。地域の課題に関心のない方、知らないだけで関われていない方がたくさんいると思う。グループにminori高木さんがいたので、関心のない層へのアプローチでいいアイデアがないか伺った。日置真世さんのネットワークカフェの事例では、自分の悩み事を気軽に地域で話せる場があって、自分の困りごとや周囲の困りごとから皆で一緒に考えていく場があるといいこと、また悩み事を言うとドリンクやケーキがもらえるというプラスのことがあると話やすいということであった。一方で地域性もあり近い人にはなかなか言えないということもあるため、外の団体による場もあったり、近い団体が実施する場もあったり、多様な団体が関わることで話やすい場が広がっていくといいと感じた。

中山参事官(復興庁)

一人身の男性が一番見えにくい部分であり、どのようにリーチするかは一般福祉の中でも課題であると思うが、災害時の対応ではより問題が顕在化している部分でもあると感じた。そういった意味においても、災害対応では平時をより凝縮した形で課題が顕在化することを改めて感じ、復興庁としても本日の話を参考にしながら予算の獲得は厳しい状況にはあるが、できる限り社会便益を最大化できるように頑張っていきたいと思う。本日はありがとうございました。