東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)

現地会議

3.11会議の今がわかる会議 2022 テーマ2

開催概要

タイトル 3.11の今がわかる会議 2022
テーマ2 復興まちづくりの現在地 〜11年目の現状と課題〜
日時 2023年1月29日(日)13:00-16:00
会場 陸前高田市コミュニティホール
参加者 53名
主催 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)
助成 復興庁コーディネート事業
協力 特定非営利活動法人いわて連携復興センター
一般社団法人みやぎ連携復興センター
一般社団法人ふくしま連携復興センター
一般社団法みちのく復興・地域デザインセンター
資料 テーマ2 登壇者資料ダウンロード(PDF)

プログラム

開会

杉村:今がわかる会議 協力のお礼と、3.11の今がわかる会議の趣旨説明

あいさつ・岩手県沿岸部に関する状況説明

NPO法人 いわて連携復興センター 代表理事 葛巻 徹 氏

関心を寄せて参加してくださるみなさんに感謝申し上げる。

岩手県はリアス式海岸で津波被害が大きかった。東北自動車道と三陸道の全線開通によって人の流れがでてきている。岩手の特徴としては、内陸避難が挙げられる。震災直後はたくさんの団体が立ち上がり、現在も地域の課題を主体的に取り組んでいる。

道路等のハードは進んできているが、地域の課題は存在していて、そのような部分は多くのNPOが担っているが、行政や地域の理解がまだまだ進んでいない。NPOの理解を進めていきたい。地域のNPOをどう社会資源として育んでいけるか。移住者など含めて、チャレンジをサポートしていきたい。

次の災害に備え、311からの復興に取り組んできたこともあり、2016年に発生した台風10号では、大きな災害でも行政などと連携して活動ができると思っていたが、現場は混乱していてスムーズに支援ができなかった。そういったことに備えて、いわてNPO災害ネットワークを立ち上げた。各団体の得意分野があるので、得意分野をいかして、全国のネットワーク、社協、県域の機関との連携を進めている。災害支援制度を時代に合わせた支援をできるように、専門家のみなさんと意見交換も続けている。

10年の取り組み、そして、今後に向けて新たに取り組んでいることもある。全国のみなさんとの交流が大事だと思っている。いくつか岩手県内の活動を紹介する。

宮古市の浄土日和は、浄土ヶ浜の三陸トレイル、ジオパークなどを活用した取り組み、観光、研修をおこなっている。大槌町の吉里吉里国は、森林の活用、まきまつりなどを行い、全国の皆さんと交流している。

今日はみなさんに関わってもらう大きな機会になると思う。

テーマの趣旨説明

岩手担当 菅原香織

  • 国と岩手県・宮城県の復興の基本理念を紹
  • 地域・住民・NPOが思う復興まちづくりとは(地域やNPO)NHKの調査から紹介:復興の実感、これから必要な支援
  • 3県共通で復興支援道路が全線開通。アクセスがよくなったことから、県外からの訪問者、教育旅行が増えている。
  • 地域おこし協力隊の定住率 岩手、宮城、福島で年々高い定住率になっている。
  • 岩手県では関係人口への取り組みがさまざま行われている。
  • 陸前高田市の関係人口への取り組み。定期的な情報発信、交流など、将来的に移住につながる交流を取り組んでいる。
  • 宮城県 こころのケアへの取り組みについて。不登校の生徒の数が全国的にも多いため、魅力ある学校づくり推進事業などをおこなっている。
  • 農福連携の紹介。農福連携とは、障がい者が農業分野で活躍することを通じて、生きがいをもち社会参加していくことを目的にしている。新たな農業者の働き手の確保にもつながっている。
  • 福島県の観光の取り組みについて。震災後観光客の数は落ち込んだ。2019年は震災前の98%まで回復している。双葉町観光の取り組みとしては、昨年8月に避難指示が一部解除され、駅西に公営住宅が建設され、役場新庁舎が9月に開庁した。生活に必要な施設の整備が進められている。

本日は、地域づくりに取り組んでいる3人の奮闘、それぞれどのように関わりが持てるか考える機会にしてほしい。

各県報告

  • 復興まちづくりをテーマに、岩手、宮城、福島から3名が登壇。
  • コーディネーター:富田愛
古谷恵一氏(一般社団法人 マルゴト陸前高田 理事)

2008年に陸前高田に大学のサークルで訪れ、地域の人のあたたかさに触れて、いい場所だなと感じた。就職したあとも定期的に通っていた。2016年12月、すでに移住していた先輩の家に滞在したときに、大学のときに訪れたことを覚えていてくれた人もいた。まちは変わってしまったが、当時のあたたかさは変わらなかった。もっと地域のことを知りたいと思い、2017年4月に地域おこし協力隊として移住し、マルゴト陸前高田で働いている。

マルゴト陸前高田の理念としては、交流を生み、地域と外の人をつなぐことがある。大きな部分では2019年にはホームステイ型の民泊で4000名以上を受け入れた。新型コロナウイルスの影響で縮小をせざるを得なかったが、今年は本格的に事業を再開した。これまでは市の委託事業で行なっていたが終了し、自主事業として取り組んでいる。

顔が見える交流を目指し、新しい価値観が生まれるきっかけになればと思っている。震災のことだけではなく、震災学習、地域の元々の農業、漁業、自然をコンテンツ化して高田の魅力を伝えている。2020年からはコロナの影響があり、これまでの縁が途切れないように、地域のことをオンラインで伝えた。

復興記念公園は、2022年には年間で100万人が訪れている。震災前の人数が戻ってきた。中心市街地には商業施設や文化会館がある。この2つの場所をつなぐことが課題。たくさんの方々が来ているが、公園の見学を終えて、まちの方には来てくれない。地域の経済をまわしていくことが必要。

まちを案内するまちあるきでは、名古屋市の大学生消防団や外国人を歩いて紹介した。かさ上げした場所に惣菜屋をオープンさせた店主に、どのような思いでオープンさせたのか話ししてもらった。チョコレート店は、町で進めているピーカンナッツを用いて商品にしている。桜ライン3.11は、 津波被害があった場所に桜を植えている団体。実際に植えた場所を海外の方々や学生のみなさんを案内している。昼は地域のお母さんたちが作ってくれた食事を提供し、地域の方々との交流もしている。観光だけではなく、どういう思いで地域の方々が活動しているのか、知ってもらいたいと思っている。

観光に取り組むことは、外の人と地域の人をつなぐこと、地域を守ることにつながる。間に入ることで地域のストーリーを伝えることができる。地域の活動も続いていく。もう一つは、役割の明確化である。色々な施設ができているが、それぞれがバラバラに活動している状態。昨年末から観光事業者を集めての勉強会を始めている。それぞれの役割の明確化、受け入れ体制も強くなっていくと思っている。行政・民間も一緒になって観光客を受け入れていけたらいい。

(富田)陸前高田の人のあたたかさとは

(古谷)自分のテリトリーをしっかり持っていて、最初は警戒感を持っているが、その線を越えるとものすごくウェルカムで、何かあるとすぐに連絡してくれる。家族のことまで気遣ってくれるところ。

(富田)地域を守ることにつながるとは

(古谷)手仕事など器用な人が多く、素晴らしいものがたくさんある。積極的に見せてくれるというよりは、おうちに行ったら見せてくれる。その価値を伝えていく、守っていく、つないでいきたい。そういうことを伝えることが地域を守ることにつながると思っている。

(富田)民間や行政と一緒にやっていくなかで役割の明確化ということがあったが、どのような状態まできているのか。

(古谷)だいぶできかけている。この10年はまず建物をつくることが大事だった。その部分は行政主導でやってきた。これからは民間の力が大事になってくる。勉強会が始まったが、このような場を設けるのは行政をやっていくのが難しさはあるので、民間がやっていき、現在進行形で引き続き明確にしていきたい。

高橋由佳氏(一般社団法人 イシノマキ・ファーム 代表)

仙台生まれ、仙台育ち。石巻に移住した。スクールソーシャルワーカーとして活動し。いしのまきファームを立ち上げた。ソーシャルワーカーで農業委員も務めている。

震災発生の9日前に心の病があるかたの就労支援を立ち上げた。震災で活動が難しくやめようということになっていたが、今後は、働く・学ぶことが居場所になっていくと思い、6月1日にスタートした。石巻は不登校がワーストと記事になっていた。生活困窮に陥った家庭があったことから、高校生がアルバイトをしながら、インターンをし、正社員として登用してもらう、インターンシップとバイトをかけ合わせた造語で、バイターンという取り組みを始めた。水産業者の働き手が少ない中、パソコンの講座を始めて、ITスキルが上がって就職したが離職する人もいた。なじめない、コミュニケーションを取るのが苦手など、いろいろな理由がある。地域の方から、被災して空いている土地があり、そこを使ってリハビリをしたらどうだと言われたことから、被災者の方々にお手伝いしてもらい、若者たちが農業に取り組む支援を始めた。被災した農家さん、仮設住宅に住む人たちが農業を教えてくれて元気になっていった。農地にはエンパワメントのような力があるなと感じた。農業に特化した就労支援をしたいと考え、石巻ファームを立ち上げた。 

宮城県内には不登校、長期失業者などの課題がある。被災地にも早急な課題がたくさんあった。そのような中で、石巻ファームへのチャレンジをした。地域、農地にリカバリー、エンパワメントする力があるとおもい、地域の人たちに手伝ってもらいながら就労支援がしたいなと考え立ち上げた。石巻の北上町という大川小学校の近くで、人口は減少しているが、自然豊かで農業、漁業がまじわった素晴らしいところ。職員はほとんどが移住者。地域おこし協力隊1名、プロボノで1名の11名。まずは耕作放棄地を借りて、ホップ栽培を始めた。た。北上町は津波で被災し、新しい場所に引っ越し、農地と住宅が遠くなってしまった人が多い。1時間かけて通っていたおじいちゃんがいた。この農地を大切に守ってもらえるなら、土地を貸したいとの申し出があり、土地を借りることになった。2020年7月に映画館を改装して、ブルワリーをオープンさせた。古き良きものを壊して新しくしていくのが本当に復興や、まちづくりになっているのか、地域住民のためになっているのか考えた。ブルワリーにはなつかしんでくる人や、歴史や思い出を聞き、人と人がつながる場所になればいいと思っている。ソーシャルファームの理念で、全国の福祉法人と一緒に連携ビールを作った。ダイバーシティ、インクルージョンがつながっていくなかで、復興やまちづくり、人材育成が進んでいくと思う。

石巻市の委託を受けて農業担い手センターを運営している。新規就農も受け入れている。農福連携の中で、共生型まちづくり事業、中間的就労支援として、週一日、4時間程度農作業をしている。のべ100人から200人が利用している。滞在型プログラムもある。これからどんなことに挑戦していきたいかというと、多様性のある人々と地域住民とで新しいソーシャルファーム、新しいセーフティーネットを作っていきたい。ソーシャルファームで、干し芋づくりやブルワリーで雇用していきたい。ダイバーシティーや地域インクルージョンをはかりながら、規模の経済から循環型経済を作っていきたい。ローカリゼーションとして共感を持った人々と一緒にまちづくりを行い、社会的価値と経済的価値をプチ循環しながら、経済エコシステムを構築した仕組みを作っていきたい。石巻の共通価値を確立しながら、ソーシャルなまちづくりを目指していきたい。

(富田)なぜホップから始めたのか

(高橋)知り合いからホップを植えてみないかと言われた。一週間ほど預かったところ、簡単に伸びていったので、これは障がいがある方と一緒にできるのではないかと思ったのと、ホップの花言葉は希望。この作物でがんばっていこうと思った。

(富田)ブルワリーを映画館をリノベーションして作ったたことで、地元住民や感想など聞いた声があれば

(高橋)石巻はとんがった方がけっこういる。人に会いにきたくなるまちは大事だと思っている。ブルワリーがあるおかげで、孫や息子に送ってあげたいと自転車で買いにくる人がいる。そのときに昔の話をする方が多い。そういう話を若い人たちが聞いてもっとこうしたいなどの話が出てきて、カフェやアトリエなども始まり、明かりが灯るようになってきた。化学反応が起きている。若い人のパワーは素晴らしい。まちづくりの事例になるといいし、みんなが来てくれるまちになるといいなと思う。

(富田)人と人をつなぐときに気にかけていること、ポイントは

(高橋)復興財源がなくなっていくなかで、どうサスティナブルな社会、共生できる社会を作っていけるかだと思う。空き家、耕作放棄地に新しい風をいれていくようなことをしていければいい。農地付き空き家バンクという制度もある。1アールの農地がついた空き家があれば農業ができるという規制緩和があった。新しい制度や財源を確保しながらやっていくことが、まちづくりの基礎になっていくと思う。課題思考ではなく、未来思考でやっていくために必要なこと。

山根辰洋氏(一般社団法人 双葉郡地域観光研究協会 代表)

東京八王子市出身。東日本大震災がきっかけでこのような仕事に携わった。それ以前は映像を作っている制作会社にいて、2012年4月から東京で復興支援をしている団体に所属し、2013年8月から双葉町の委嘱職員として、復興支援員という立場で参画した。2016年に双葉町の女性と結婚し、妻と双葉町に住みたいという話をはじめ、どういうふうに双葉町で暮らしていくかと考えたときに、会社を作った。会社を作る前にも様々な活動をしていたので、今日は個人として話させていただく。

双葉町は東京電力福島第一原子力発電所が立地している。1〜6号機があるが、4号機までは大熊町、5,6号機が双葉町に立地している。双葉町は、震災時は約7000人の人口がいた。面積が51平方キロメートルの小さな町。小さな町だが17の行政区があり、伝統文化がある。せんだん太鼓もある。毎年1月にだるま市が風物詩としてある。双葉町は昨年8月に避難指示が解除されて人が住めるようになり、ダルマ市も12年ぶりに町内で開催された。 事故後は、埼玉県加須市に役場機能を移転し、2013年にいわき市に役場機能を移した。昨年9月に双葉町内に役場機能が戻った。12年が経過してようやく双葉町のまちづくりが再開した。解除と言っても一部解除で、全町解除にはなっていない。まだまだ住めず、避難が続いている。2020年3月に先行して避難指示が解除され、東日本大震災・原子力災害伝承館や産業交流センターができたが、交流が限界だった。2025年には県の復興記念公園ができる予定。2022年8月に駅を中心として解除になった。元々この場所は解除する予定はなかったが、2016年9月に政府が解除する方向を決めた。町の10%ぐらいが解除になった。我が家も3月末に駅前周辺に引っ越す予定。一方で、グレーの部分は中間貯蔵施設になっている。福島県全体で出た除染などの土壌を双葉町・大熊町で受け止めている。元々、住居や民間の土地だったところなので、ふるさとを失った町民もいる。廃炉や中間貯蔵施設の真横でまちづくりをしていくという、まさに過去と未来の融合といえる。避難先での生活は変わっていない。双葉町でのまちづくりは進んでいくが、戻りたくても戻れない人もいる。私はいわき市の勿来酒井団地というところに住んでいるが、地域との融合ができていない。終の住処になる人もいる。生活の基盤づくりも続けていかなくてはならない。

双葉町の広報をやってきた点では、双葉町には30年帰れませんと言われていた時期には、何のために双葉町のコミュニティの維持をしなければならないのかわからず活動を続けてきて、ふるさとへの思い、再生したいという声を聞いて、何かできないかなと思ってきた。道筋が見えない中で、軸足をもう少し地域寄りにしようと思い、復興支援員をやめて、一般社団法人に転職して、大熊町と双葉町の復興支援員のマネジメントをしていた。この間に家族ができ、双葉町で一部解除という道筋が見えてきたので、双葉町で生活できるのではないかと思い始めてきた。2019年に会社を作り、コロナ禍になってしまったが、細々とやってきた。今はツアーを作ったり、コミュニティづくりや観光の事業をやっている。そもそもなぜ観光化というと、元々インバウンドをしようと思ってきた。遠くの人に伝えたると、近くの人に伝わると思ってやっている。観光は平和産業と呼ばれている。観光産業がなりたてば、平和的発展につながると思っている。現在は、まちあるき、ヒアリングの内容を盛り込んだ小説、映画のような脚本を書いたり、情報発信として、福島シーサイドというメディアやデジタルだけではなく、じゃらんの発酵、オンラインツアーとして届けている。福島県は、元々観光をしていたところは少なかった。留学生を受け入れのため、ハラルなど食事制限のお弁当を頼んだらコミュニケーションが生まれたり、学生たちがツアーづくりに取り組んで、関係人口として地域づくりの担い手、移住のためのツアー、福島県のインバウンドなど、今まで細々とやってきたことが広いエリアに発展してきている。今は第二創業期。これまでやってきたことの位置づけ、目指す方向を整理しながら、次の展開への模索をしている。一番大きな転換点として、旅行業としてやっていこうと画策している。

(富田)双葉町の人たちの魅力は

(山根)あったかい人が多い。人口が少ないからか、役割が明確。この人に相談すると物事が動くような熱量がある。一生懸命生きているのを感じる。

富田)過去と未来の融合とは
双葉町は社会がなくなってしまった。Aさんの営んでいたことが地域の個性になるという土地での営みがなくなった。既存の商工会、観光協会、社会福祉協議会などコミュニティの維持も大変になっているので、枠組みを変えていかなければいけないと考えている。避難先での連携や、過去やっていたことを引き継ぎつつ、新しく枠組みを作り替えなくてはいけない。バトンを受け継ぐという活動が最近多くなっている。人々がやっていたことがまちの個性であり、それを次の人たちにどう引き継ぐか、過去と未来をどうつないでいくか、12年ぽっかりまちでの活動がなくなった期間があるので、そこをどうつないでいくがポイントだと思っている。観光は、地域の伝統を経済価値にして外に伝えていくこと、これに取り組むことが、バトンパスにつながっていくと思う。

パネルディスカッション

(栗田)3人のお話を聞かせていただき、必殺仕掛け人だなと。関係人口をどう増やしていくかは3県の課題である。古谷さん、手応えは?

(古谷)まちあるきなど、19年の半分くらいまでは回復した。

(栗田)復興施設に100万にも来ているのに、町まではなかなか行かない理由はあるのか。

(古谷)滞在型にならない。宿泊施設の数も関係してくる。

(栗田)本当は市街地に人を呼びたいと、今後仕掛けていくのだと思います。楽しみにしています。映像を見ると、まちの人たちがイキイキしてきた。来た人の表情も変わっていっているが実感は?

(古谷)年賀状届いた、卒業したなどの連絡や、つながりが続いている。

(栗田)住民の持っている力を引き出す、上手に引き出していると感じた。高橋さんも同じでは?

(高橋)農業をやっているから受け入れられた部分は大きい。外に出ているので、よく声をかけられる。農業を教えてくれる住民の方々は、農地にプライドを持っている。先ほどバトンという話があったが、ここを守っていく人かどうか試されている。バトンを渡せる人かどうか。小規模多機能自治ができてきている。

(栗田)色々発展しましたね。そのエネルギーはどこから生まれるのか。

(高橋)これをやろうというより、たとえば耕作放棄地があって、その困っていることをどうしたら見にきてくれるかを想像しながらやっている。ブルワリーを作る予定はなかったが、映画館を見に行ったときに、天井が高くて歴史を感じて、ここをなんとか残したいと思った。少しつぶやくと、住民が実はなんとかしたいと思っていたなどの声があった。

(栗田)農業をやるといっても、指導者、技術者が必要だし、デザインもプロの仕事だし、さまざまな仲間がいると感じた。

(高橋)強みのある人がたくさんいて、ダイバーシティ、共助のような共生できる社会が少しずつできあがっている。

(栗田)そのヒントを教えてほしい。底力を発揮できる、なにかあったときにプラス思考で、仕掛けてきている。

(高橋)助けられてばっかりで、見ていられないと助けてくれる人が出てくる。

(栗田)率直にもうかっていますか?

(高橋)雇用の創出することもできている。

(栗田)町民となって役割は。

(山根)公営住宅に2017年に住み始めた。地域の人は段階的に入居だったので、コミュニティがバラバラだった。仮設住宅でのコミュニティもバラバラになり、住んでいて目の前のことなので、対応しなきゃと思って事務局を引き受けた。

(栗田)この会場の目の前に大きな復興住宅が建設されているが、山根さんのような若い人たちががんばってらっしゃったとお見受けした。

(山根)それまで復興支援員という支援者をやっていてやめたときだった。逆に支援員のときは公営住宅の支援はできず、もどかしい思いがあった。一住民として向き合うことができた。

(栗田)高齢化率は?

(山根)70代以上の人がメインで、若い人は3世帯ぐらいだった。課題としては、所得制限にひっかかる人が出ていかざるを得ない環境になっている。若い人が住むことができない仕組みになっている。一つの建物に住民票がバラバラなので、町もアプローチしづらい。県も及び腰という状況が生まれている。

(栗田)阪神淡路大震災から28年。市が借り上げたアパートは20年という条件があった。80歳の人も契約が切れたので、出ていかなくてはならなかった。宝塚市はそのまま住んでもよかった。20年間住んでいた人が出ていかなくはならないことはかなりきつい。制度のはざまが人の暮らしを奪っていいのかと大論争になった。

(山根)僕は双葉町に住んでそこでまちづくりを始めるが、ここを出ていったら担い手がいなくなるので、遠隔でもなんとか関わっていきたい。避難先と元々の町を再生するという点は相反していて難しい。自治会の立ち上げには、みんぷくが手伝ってくれていたが、初期とはフェーズが変わり予算や支援が減っていく中で、自治会解体というフェーズになっていく。復興という10年や20年の期限がある中の財源でやっている限り難しさがある。

(栗田)法人の名前のとおり、まだ研究の段階か

(山根)実は適当に名前を付けたので、名前を変えたいと思っている。DMOを作りたい。この地域の人口区分や文化区分が行政単位ではない。原発が立地している町村で行政区分が小さい。横断的に取り組まないと、人を受け入れることができないと思っている。

(栗田)ツアーの参加者層は

(山根)教育旅行、学生が多い。僕自身がやりたいのは、ブランドづくり。この地域にどんな人がくるか試して実験していていかなければいけない。震災前に観光業をやっていなかったので、そもそも客のデータが少ない。現状ニーズが高いのが教育旅行。それだけでは続かないので、どんな人がくるのか実験的にやっていかなくてはいけないと感じている。

(栗田)双葉町の伝承館には人が来ているのでは?

(山根)そもそも双葉町に店がない。近隣町も含めてのツアーやモデルづくりができればいい。人が人を呼ぶように、学生に移住につながるような産業を起こしてもらいたい。

(栗田)それが先ほどのバトンを渡すという表現になるのか

(山根)僕は両方にネットワークがきくので、少しずつ渡していきたい。

(栗田)3人ともよそものだ。地域に受け入れてもらうにはそれなりの時間やコツがある。応援してくれる人材がほしいのではないか。これからの東北を一緒に考えていくそういう人にメッセージをお願いしたい。古谷さんの話を聞いて、民泊してみたいと思った。民泊は若い人しかダメなのか?

(古谷)酒のみ相手が欲しい人もいる。

(栗田)ホップを一緒に取ってみたい。ブルワリーも見てみたい。

(高橋)収穫時期は人手が必要になる。ぜひ農作業に来て欲しい。

(栗田)双葉の徐々に復興していく姿をしっかり見ておきたい。

(山根)入ってはいけないと発信された場所なので、普通に来てもらうことがうれしい。

(栗田)山根さんに質問がきている。公営住宅には、みなし特定公共賃貸住宅の制度が使えないか。岩手県ではこの制度を公営住宅に適用しており、福島県や宮城県でこの制度を活用している例はないのか。

(山根)調べてみたい。

(栗田)どんな人材を求めているか。古谷さんから。

(古谷)10年が経過し、状況はだいぶ変わっているが、新しい町をつくっていきたいと思っている。やっと土台がそろった。これ何なんだと思うことも多いと思うが、どうなっているのかを知りに来て欲しい。

(高橋)石巻は漁業のまちと思われがちだが、農業の売上が高い。担い手が不足しているところはたくさんある。きてもらったら、感じることがたくさんあると思う。ぜひきてください。

(山根)来れなかった場所が、来れるようになった。どう生活が戻っているか、僕も好きなまちなので、原発事故があった町だけで捉えるのではなく、まずは来てもらえたらうれしい。浜通りの沿岸地域も良いところがたくさんあるので、これからしっかり発信していきたい。酒蔵、大堀相馬焼やキャンプとコラボは始まっている。

(栗田)復興まちづくりに人あり。仕掛け人、つなぐ人がまちを元気にしてくことがよくわかった。大きな拍手でお礼を言いたい。

登壇者から一言

古谷
貴重な機会をありがとうございました。改めてやっていることを振り返ることができた。観光自体が地域を発展させていくこと、守っていくことがまちづくりにつながっていると見直すきっかけになった。新しいまちがこれからどんどんできていく。色々な方に見ていただきたい、関わってもらいたい。それが新しいまちに発展していく。今日をきっかけに色々な方々に陸前高田を知ってもらい、お越しいただけるきっかけになればうれしい。

高橋
長時間ありがとうございました。先ほどのブレイクアウトルームで、仙台など大都市圏では風化している状況で、どうやって復興支援に関わっていこうか悩んでいるという声があった。地域の課題は多様にある。現実に起きている社会課題に対して、いかせるリソースがあれば、それを生かしてこれを手伝っていこうということがあると思う。人は、だれかの役に立ちたいと思っている。被災地ではなく、3県をそのような目線で見ていただき、ぜひ訪れてほしいと思っている。山根さんが言っていた観光、人が訪れフィードバックしていく文脈は、地域を平和にするんだと感じた。そういったことからも、色々な地域を訪れて欲しい。

山根
今日はありがとうございました。みなさんの話を聞いて、参考にさせていただくこと、これから起こるフェーズの中で、相談しに行きたいことがたくさんあった。引き続き連携させてもらえたらうれしい。ブレイクアウトルームでは、色々な方が応援してくれることがわかった。課題を伝えることで、こういう解決方法あるよとコミュニケーションが生まれる。アイディアなど知る機会になった。発信と需要をくりかえすことが大切だと思った。

岩手タイム

一般社団法人 おらが大槌夢広場 移住定住事務局 伊藤将太氏

  • 地域おこし協力隊として昨年12月に着任。移住定住事務局を立ち上げた。個人的に農業もしている。大槌町に移住したきっかけは、採用プロモーションをやっていたことから。
  • 大槌町の概要紹介。人口は約1万人。海も山もあり自然が豊か。
  • 移住定住事務局では、定住視点からの移住促進事業をおこなっている。大槌に住んでいる人たちが心豊かに暮らせることをサポートしたい。知る、働く、暮らす、つながるを柱に活動を展開している。具体的には、ウェブメディア、ガイドブック作成、イベント企画、オンラインの移住相談。ふるさとCM大賞に町の動画を作成し応募、空き物件バンクもおこなっている。移住定住コンシェルジェを町と連携しておこなっている。暮らしの相談窓口も開いている。子どもの居場所をまとめた「おおつちこどもおうえんマップ」を作成した。働き方や働き口をデザインし発信している。
  • 地域おこし協力隊の3期メンバーを募集している。現在は19人が活動中。
  • 今後の展望。移住相談対応は受け身になりがちなので、私たちはクリエイティブな攻めの移住定住をやっていきたい。住民のやってみたいを一緒にやってみようを形にしていきたい。

○動画上映:岩手で活動している団体の紹介

閉会あいさつ

栗田暢之(東日本大震災支援全国ネットワーク 代表世話人)

会場風景が見えますか?災害公営住宅が8階建で6棟立っている。人は誰も見えません。これが復興の姿でしょうか。これを問い続けないといけないと思う。復興に人あり。この町をなんとか再生したい、もっと魅力ある町にしたいと活動している姿を目の当たりにしました。引き続きJCNはがんばっている方々を応援しつつ、情報を全国に届けていきたい。本日はありがとうございました。