東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)

現地会議

3.11の今がわかる会議 in 2020 テーマ2

今年度で10年目を迎える東日本大震災。多くの人々が大変な思いをしながら、平穏な日常生活を過ごせるよう復興という長い道のりを歩んでこられました。一方で、様々な課題を抱えしんどい思いをされている人々が今、なお多くいます。また、地域に根ざして、そうした人々に寄りそいながらともに歩んできた多くの人々もいます。10年経過した今、そうした現実を私たちはどれだけ知っているでしょうか。東日本大震災の課題は東北だけの課題でしょうか。

東日本大震災の10年目の今を知り、全国のみなさんの力と知恵をあわせて、東北の未来づくりを一緒に考えたいと思います。また、東日本大震災の課題を考えることが、今、各地で起きている災害やこれから日本が抱える課題にも活かすことができると信じています。新型コロナウィルスの影響もあり、人と会う機会が減ってきた今だからこそ、オンラインというツールを使い、全国のみなさまを東北につなぎなおしたいという思いを込めて企画しました。

開催概要

タイトル 3.11の今がわかる会議 in 2020 テーマ2
テーマ 被災地域の賑わいづくり ~地域に誇りを持ち、地域の魅力を活かすとは~
日時 2020年10月10日(土)13:00-16:00
会場 オンライン(Zoom)にて開催(仙台駅前会議室 会議室大Aホール)
主催 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)
助成 復興庁コーディネート事業
参加者数 93名(一般81、登壇4、来賓1、スタッフ7)

開会挨拶/趣旨説明

主催挨拶

東日本大震災支援全国ネットワーク 代表世話人 栗田暢之

前回の第一回は、生きづらさを抱えた方々という1丁目1番地のテーマを取り上げ、充実した話ができた。第二回は復興まちづくりに取り組んでいる方、地域の担い手、面白いことをしている登壇者にきていただいた。そして、福岡でまちづくりを行っている山口さんにもご参加いただいている。これからの地域の魅力をどう発信していくかを、新型コロナウイルスの影響で難しいかもしれないが、行ってみたいと感じさせてくれるような取り組みや工夫が聞けると楽しみにしている。心を馳せてお聞きいただければと思う。

来賓挨拶

復興庁参事官 上野康博様

東日本大震災の復興の取り組みはまだまだであります。今日のテーマである被災地のにぎわいづくりでは、発想、住民の合意形成などが大事だと考えます。新型コロナウイルスの影響も懸念される中、オンラインという形で、たくさんの方々に参加していただいていること前向きに捉えたいと思います。

復興庁については、継続して復興に関わる仕事を続けてまいります。被災者支援、特に心のケアについては、引き続き全力をあげていく所存です。そして、今日のご意見から東北地域の発展について考えていきます。

311kaigi2020_02_01.jpg

パネルディスカッション

「知る」:10年目の東日本大震災の現状と課題
「探る」:課題解決に向けて経験や知見から知恵を紡ぐ

登壇者紹介

【コーディネーター】東日本大震災支援全国ネットワーク 岩手担当 富田 愛

本日はご参加いただきありがとうございます。昨日NHKで被災地を定点カメラでおった放送を見た。建物が津波にあい、福島では原発避難ということで、町も人々も一度いなくなるのだれど、建物だけでなく、生業、そして人々が戻って、笑顔が戻ってくるというのが、本当の地域の賑わいにつながるんだなと見ておいた。今日は被災地域の賑わいづくり ~地域に誇りを持ち、地域の魅力を活かすとは~」ということで、被災3県から素敵な方々にお集まりいただいた。まずは、順番に自己紹介していただこうと思う。

【岩手県】宮古市地域おこし協力隊 吉浜知輝氏

岩手県の宮古市で地域おこし協力隊の吉浜です。震災当時は12歳、現在22歳。今年4月にUターンで協力隊に入隊しました。ミッションは、副業など多様な関わりによる関係人口創出事業ということで、副業マッチングの事業を担当している。また副業で、地酒の酒蔵、菱屋酒造店で企画や広報を担当している。地元の高校からアメリカの高校へ編入して、その後、東京と宮古の2拠点居住で1年半くらい実践してきた。もともとの人脈やいろいろサポートいただいたみなさんと、地域に根をはりながら、地域おこしに取り組んでいる。

311kaigi2020_02_02.jpg
311kaigi2020_02_03.jpg

【宮城県】気仙沼まち大学運営協議会 成宮崇史氏

東京育ち、大学で児童福祉を選考し、児童養護施設で3年半ほど勤めていた。その後、仕事を転々としたなか、2011年8月に気仙沼市にボランティアに入り、2か月ほどハード面の作業を行っていたが、このままこの地に留まろうと、気仙沼で出会った仲間とNPO法人底上げを立ち上げ、活動している。底上げでは、教育系のことを継続して行っているが、2016年に立ち上がった気仙沼まち大学運営協議会という、役所、民間、商工会議所、信用金庫で組んだ協議会にも所属している。まち大学は、2016年に市長が掲げた、町全体を大学に見立て、一人一人が学びを得たり、チャレンジしていく、町づくりをしていこうという構想を実践していくための協議会で、学び、対話、協働、共創をテーマに掲げ、様々なチャレンジが生まれるような土壌づくりを行っている。

311kaigi2020_02_04.jpg
311kaigi2020_02_05.jpg

【福島県】もーもーガーデン by 一般社団法人ふるさとと心を守る友の会 代表理事 谷 咲月氏

福島県の双葉郡大熊町の帰還困難区域内でモーモーガーデンという場をつくって活動している。静岡出身で大学は東京、海外に留学した後、東京で働いていた。2011年にTV報道を見て、福島に関わるようになった。農家の方からまずは現場を見てくれということで、浜通りに通っていたが、2年ぐらいしていわきに引っ越し、今は楢葉町に住んでいる。被災、放浪していた牛たちを集めて、荒れてしまう農地の草刈りをしてもらうことを9年間やっている。最初は田んぼ2枚からスタートし、今は口コミで依頼が増え、8ヘクタールやっている。この地域の農家さんはすごいので、その方々の知恵をミックスしながら、新しい形を生み出そうと試行錯誤している。地元の方と県内の方、県外の方、それぞれが1000人くらいが関わってくれている。避難先からでも土地を守れるような形を発展させていきたいと思っている。

311kaigi2020_02_06.jpg
311kaigi2020_02_07.jpg

【全国(福岡県)】津屋崎ブランチLLP 代表 山口 覚氏

福岡県津屋崎で町おこしをしている。もともとはゼネコンでハード整備をやってきたが、途中でNPOに転職し、それ以外の部分で地域づくりをやっていこうと思った。ハード事業がある程度形作られて、これから心の復興、人々がどう幸せに生きていけるのかということは非常に大事なことだと思い、そんな視点で何らかのメッセージを置いていければと思っている。津屋崎では本当の暮らし、働き方、本当の人とのつながりとは何だろうということをテーマに生きている。2009年から取り組みをしていたので、震災後に東北から色々な方々がお見えになり、つながりができ、年に数回は東北に来る。どんな取り組みでも、一番大切にしているのは対話。地元の方と他所から来た方、お年を召した方と若い方、考え方が違ったり、未来への感じ方も違う。どんなプロジェクトも話し合って合意を図る、心の中で納得しながら進めていくというプロセスを蔑ろにするとうまくいかない。とにかく話し合う、合意形成、対話していく、大切さを自身もやってきたし、伝えている。今日はそのようなこともお話していきたいと思う。

岩手県 吉浜知輝氏:課題とその背景

地域との多様な働き方、関わり方を推進するために必要な事はという課題をあげた。2拠点居住や働き方に取り組んできたきっかけは、アメリカ留学から帰ってきたタイミングで、地元の友達と話すと、仕事の愚痴だったり、ネガティブな話が多く、これでは地元から出ていってしまうと想像できた。それとプラスして、多地域居住のサービスやメディアで働き方改革などが取り上げられていく時期だった。もしかしたら今後、日本の働き方やローカルと首都圏とのギャップが減って、面白いことがおこるんじゃないかとのイメージを持ち、二拠点副業にチャレンジした。今、地域おこし協力隊、地域内で副業をしていることで、自分が幸せに生きている感覚があり、こういったことを地域内や首都圏にいる地元出身の人とか、人の流動性を持っていけば、地域の課題を解決するきっかけになるのではと思っている。課題は、地域の民間企業などで副業が認可されていない、解禁しない企業が多いのが一つ。地域でスキルを高められる機会があるか、自分のスキルのために費やす時間が若い人が持てているか。30代40代のスキルを持った方々が地域に入る時、効率よく活躍できるか。地域でのITリテラシーの低さ、情報が行き来しないことで実現しないこと。いろんな課題感があるので、みなさんで考えられたらと思う。

ディスカッション
  • (富田)宮古へ帰ってきたいと思ったきっかけは?
  • (吉浜)海外進学を目指してていた。そのタイミングで地元でゲストハウスができたり、復興のフェイズから次のステップにいこうとしている部分を見て、自分もその輪に入りたい、地域に戻って何かしたいという感情が高まった。大学は自分がこれで専門的に特化したいというタイミングで勉強した方がいいと思い帰ろうと選択した。
  • (富田)吉浜さんにとっての宮古、まわりの大人達はどういう印象?
  • (阿部)学校の外に教育に力を入れている大人が沢山いて、こういう活動したいと言ったら、すぐバックアップしてくれる環境があった。地域の産業を見るツアーがあったり、学校の外に教育機会があった。それを受けて自分自身もかわっていった。
  • (富田)多感な時に、宮古の良さを知る機会があったということですね。
  • (吉浜)僕自身は被災をしていない地域。海よりも川で遊んでいた。家族親戚を亡くすこともなく、あまり自分事ではなかったが、高校に入って家や家族を亡くした友達が沢山いたギャップ、衝撃があった。今まで何もしてこなかったが、何かやってみたいというスイッチが入った。
  • (富田)成宮さんは吉浜さんの高校の時から知っている。今の吉浜さんを見てどう思う。
  • (成宮)高校生の時からまわりを引っ張りながらイベントを企画したり、行動力はすごいなと思っていた。そこからさらに、色んな事にチャレンジして、それが生業になっているのは尊敬できる。町に戻るのは郷土愛も大事だが、働き方の選択肢や収入などどう増えていくのは重要。その点、吉浜君がひとつのロールモデルになる。地域の方はそういう働き方を見たことがない。こういう方が増えていくと、そういう働き方もありなんだと、実感値が増えていくのが重要と思った。
  • (富田)山口さんは、地域で働き方の受け皿をどんな風につくってきたか?
  • (山口)僕自身が入った時も、まだ若者と言われていた。僕自身も3、4つの仕事をやってきて、理屈じゃなく、見せないと誰も信じていかない。プラス、年下を尊敬するのを意識している。未来をつくっていくのは若い人たち。未来について考える時は、年下の意見を尊重しなければ行けない。年上こそ、年下を尊敬し、敬い、耳を傾けて、本気ですくいあげるのが大事と意識している。私たちの町にはそういう大人が沢山いて、だめと言わなかった。良いね、やってみようという大人が沢山いたので、そういう環境こそ、戻ってもいいかな、一緒にやりたいと思う秘訣と感じる。
  • (富田)年下を尊敬する、未来をつくるのは若者との言葉が出たが?
  • (吉浜)あまり年上の方から聞いたことのないワードでびっくり。巻き込んだりサポートしてくれたのもそういう人だったと思う。否定せず、前向きに言ってくれる。それはリスペクトを持ってくれていたこと。僕も引き継いでいかなきゃいけない要素。
  • (富田)宮古の魅力はどこにある?
  • (吉浜)すごくされる質問ですけど、地域を出て思うと、特に言えるものは正直ない部分もある。ただ、地元の人間として、自分の町がなくなってしまったら嫌だな。「なんでそんなに宮古のためにやれるの?」と言われるが、地元だからという答えしか出てこない。それくらいの感覚で関わってると最近はお答えしている。
  • (富田)震災からまもなく10年、宮古を見て、変わったところはあるのか?
  • (吉浜)変化に沿って成長した。情報社会と震災、時代の変化の中で生きてきた。東北は東日本でスポットがあたって、地域の魅力に一人ひとりが向き合った10年だと思う。若い世代が地域に向き合うことはなかったので、必要な時間だった。この10年で人生が変わった人間なので、その分、実践していかなきゃという使命感みたいなものはある。
  • (山口)今の話を聞いて、状況が魅力的。自分の生い立ちとともに、大人が応援してくれる。そんな状況が彼を引き寄せる、そんな気がする。
  • (富田)そんな中で、地域では副業が認められてない?
  • (吉浜)民間はできない。ただ、漁業だったら副業がOK。例えばそれが町づくり、地域のためだったらOKと変化していったら面白い。文化として今後つくっていけばいいという部分もあるが、生き残りをかけている民間の企業も多いので、外に出られたら困るという言葉もわかる。いわゆる副業ではないけど、若い人のニーズ、地域と経営者のニースに沿う形で、ルールが設けられたら面白いと思う。
  • (富田)気仙沼はどうですか?
  • (成宮)移住してきた方は複数の仕事をしている人が増えてきていて、何となく認知度はあがってきている。企業の中で難しさはある。事例として、東京にいて自身のスキルを副業としてこっちに関わってくれるとかは、地元の企業にとっては大き力になったり、何社かはじめている。コロナもあって、この地域だけでなく、日本全国の働き方がかわっている中で、持続的な経営や町づくりができるか考えるきっかけはもらっている。
  • (富田)通勤時間がなくなったので、プロボノ的にという話もよく聞くが、気仙沼にもきていると?
  • (成宮)実際に会社に入る方もいたし、お試しワ―ケーションの様に、1週間くらいこちらで仕事をしながら、地域の人たちと交流の時間をつくったりと。働く場所ってこういう選択肢もあるよねと実感を持ってもらうとか、その流れをつくっていくのは今後も挑戦していきたい部分。
  • (富田)谷さんもいろんな人に関わってもらってモーモーガーデンをやっている、受け入れる方だが、働きかけをしている、気をつけていることは?
  • (谷)一人ひとりの背景、考え方、違うものがあるのでこちらでマッチできるか注意している。避難された方も、地元に戻った方もいれば、県内、県外の方もいる。地元を捨てた訳ではなく、自分ではどうしようもなかった方がほとんど。そういう方が関われる方法、空気を意識している。精神的な溝、距離が離れたら心も離れるが、それはいろいろな工夫で乗り越えられると思う。副業ではないが、目標とするところは一つなので、受け入れる雰囲気、自分の得意なことで、誰でも関われるような仕組みが今後日本にとって重要。
  • (富田)夢や背景にもちながら、移住、Uターンをする時、地域側にどういう仕組みがあると関わりやすいか?
  • (山口)津屋崎ブランチには物理的な場所があっていろんな人がふらっと来る。まずは会って雑談する。そんな話なら合わせたい人がいると。発明的発想と言っていて、今までの人生で概念がないことはピンとこない。事例がみえてきて、現実として見ると、だったらうちも出来るよとなる。小さくても現実を見せる、雑談して人を繋ぐ、すぐやって、やってから考える。そうするともっとこんなことができるとなる。こんなことで小さな機運を見出している。

宮城県 成宮崇史氏:課題とその背景

「地域の中で新しいチャレンジが生まれやすい土壌づくり」はどうやってつくっていったらいいか。東北沿岸部は多くのものを失ったからこそ、新しいものを立ち上げたり、生み出そうというエネルギーは何処でも起こりえたものだと思う。それが震災から10年経って「いろんなものが生まれたよね」で終わってしまうのではなく、これから何十年もこの町が持続的であるかは、新しいことにチャレンジする、作り上げていこうというエネルギーが生まれ続けていくことが重要。今、気仙沼は人口6万2千人弱、全員が新しいものにチャレンジしていくプレイヤーかというと、そうではないが、町の中で起きていることに対して、無関心であることが一番怖いと思う。自分の町で起きていること、新しいことを立ち上げている人に対して、無関心な方に広くアプローチしながら、巻き込んだり、伝えていくことで、お互いの想いを応援する空気感を作り上げていくことが、今の気仙沼にとって重要じゃないかと感じている。他の地域のみなさんのお話も聞きながら、実際にこの活動に興味感心がなかった方に対しても、こういう巻き込みができましたとか、こういう仕組みづくりができるんではないかというお話が聞ければと思う。

ディスカッション
  • (富田)応援し合うような関係づくり、気運を高めるにはという課題をいただきました。山口さんは津屋崎ブランチで、自身も入っていかれたわけですけども、どのように入っていかれたのか、スムーズに受け入れられたのかをお聞きしたい。
  • (山口)津屋崎に移り住んだのが2009年ですが、付き合いは5年ほど遡った2004年からで、東京から行き来する時代があり、地元の人が「山口君みたいな人が移り住んで来たらいいねえ」って。その頃は田舎に住むって気持ちはなかったが、いろんないきさつがあり、大きなプロジェクトがあるから君も応募してみないかと言われて、応募したら通ることになった。いよいよ移り住むとなったので、結構歓迎された部分はある。全員がそうだったわけではなく、特に地元ですでに活動している若手の方々は、受け入れづらいところがあって、僕があまり厚かましく活動してはいけないという思いもあった。とにかく最初は一緒に飲んで語り合って、僕はこの町が好きで移り住んできた、いろいろ話を聞かせてください、勉強させてくださいという風にやっていって、3年くらいかかってようやく「ところでお前は何がしたいんや」みたいな話になって、やっと物が言える時がきたって、そんな長いスパンかかって仲間になったという経緯があります。
  • (富田)成宮さんも東京出身で、なぜ気仙沼に、気仙沼に移り住み始めた時はどんな感じでしたか。
  • (成宮)なぜというのは偶然で、調べている中で需要が大きいんじゃないかという思いでボランティアに来た。ボランティアに来てからは、地元の方に大変お世話になって、それが移住するきっかけになった。地元の方にしても、外から来た人に対して最初はボランティアに来てくれてありがとうという思いもある。それが数年して徐々に、いつまでいるの?NPOって何なの?それ仕事なの?みたいな話とか、活動としても少しわかりづらい点もあったので、それは何をやっているの?みたいな、説明が難しいところは数年続いたなと思う。ある程度理解してもらうために時間は必要で、いろんなとこに顔を出して、いろんな人との関係性を丁寧に築き上げていったり、そこでお世話になった方が、他の方に伝えてくれたり、地元のメディアに取り上げていただいたり、いろいろ重なっていくと、ちょっとづつ顔が見えてくる、信頼度があがってくるというのが実感としてある。それを今度はサポート側として、新しく来た方をコミュニティに接続したり、サポートしていけるかはまた大きなチャレンジかと思う。
  • (山口)今の話で、この人は何をやっているのか?というよりも、この人はいったいどういう人なんだろう?、いい人なのか?、大丈夫なのか?が地域としては一番大事なような気がする。こいつならとなった瞬間にサポートしてくれる、そんなところがある気もする。地元の方と他所から来る方をつなぐ役割をする時に、地元の方を説得して回ることも大切だけど、他所から来る人に対しても、土足で畳の上にあがるようなことはしてはいけない、地域には地域の作法や考えがあり、それをリスペクトすることを伝えるのも大事かなという気がする。
  • (栗田)私も災害現場に行って、やはりローカルルールって大事。そこを中心に考えないと入っていけないし、そこに滞在して活動しようと思ったら、信頼関係結ばないとまったく相手にされない。ちょっと地元メディアに取り上げられて、調子に乗るとそれでまたね。そのへんの謙虚さやチャレンジ精神とか、どうやって入っていくか。田舎って結構残酷で、40年50年過ぎても、あの人は新しいからって言われちゃう。なかなかせめぎ合いが、それがまた魅力ですけど。
  • (富田)谷さんも静岡県から東京を経て、大熊、双葉郡の中で、どんな風に地元の方とコミュニケーションとか、ローカルルールなど意識していたか?
  • (谷)めちゃくちゃ意識した。もともと海外あちこち行っており、郷に入っては郷に従えっていうのをモットーにしていた。福島に入った時、甘かったところがあったと反省している。最初、役場の方とのミーティングがあり、相手に敬意を表すためにスーツで行ってしまった。女性で20代、農業は未経験で変に作業着を着ていくのもおかしいと思い、スーツで行ったが、やっぱり良くなかったなと。今はモンペとか履いている。作業するからこそわかってもらえる部分、言葉だけでなく実際に汗かいて、泥だらけでやってる姿を見て、徐々に信頼を得てきたところがある。その方々が生きてきた歴史、文化っていうのが、脈々と継承されている。私が入った農家さん達は、その三代前に前に移住して来た人でも、他所から来た人と言っていたり、「やっぱり天保の飢饉をどう乗り越えたか」そこからだったりもする。最初に行ったときに農家の方に、農地を守るってどういう気持ちかわかるかって聞かれた。ご先祖様が一枚一枚石を並べながら作ってきた農地を自分の代で荒らすことがすごい罪悪感で、涙流すくらいというのは、自分で農業やってみてはじめて気づいた。毎日、草刈りして、儲からなくても代々やってきている。そういうことをやってくると、農地に足を入れることに対して、失礼しますって態度で入るようになったし、最初はちゃんと理解していなかったなと反省している。新しく来る人には、気をつけることや心構えみたいなことを説明させていただこうと思っているし、今までインターンやボランティアで大勢の方が来て、そういう説明はしてきている。今後は体系的にまとめたものとかも作っていきたいと考えている。
  • (富田)吉浜さんに、新しいチャレンジをし始めているところで、地域の中でこういうのがあると新しいチャレンジがしやすいということは?
  • (吉浜)Uターンで帰ってきて、協力隊になりましたって中で、「お前はどんな地域おこしをするんだ?」って質問をこの半年で20回くらいされた。今までのキャリアや地域で実績がある方々と同じポジションにはなれないし、同じことをしようとしても無理がある。自分の役割がどこなのかを可視化するのが大事と思う。他の人と違うという部分を地域の人にわかってもらって、ケースにはまったという経験がある。Iターンで来た方々とかも、無理してそこに行くかってタイミングもあるので、そういうのはコミュニケーションなんじゃないかと思う。僕は若手なので、スピード感やSNSとか他の大人が発想しないアイデアとかを持っていくのが、チャレンジを生まれやすい連鎖を生み出せるのかと思う。あと、自分だけでやるってのはやはりだめなんだなと思う。小さくてもいいのでしっかりつながって、そのアウトプットを着々と出していくのは大事だと思う。
  • (富田)可視化をし始めている、それは僕はこれができますよとか、こういうのが得意ですとか。
  • (吉浜)SNSは普段から使っているし、ソーシャルメディアとのつながりはすごい大事と思う。新聞に載ると地域の人から反響があるし、出過ぎると突かれて、吉浜しか宮古はいねえのか?とか言われるので、若い記者がいるので、あんまり僕の顔を出さないようにじゃないけど、こういう人がいるので、クローズアップできるんじゃないか?と飲みながら対話しながらやっていて、記者さんもどうやってこの地域を発信するか考えていて、そこは大事な時間だと思ってやっている。
  • (栗田)結局何をしている人がよくわからないんだけど、地域おこし協力隊と酒屋さんという組み合わせはすごくいいよね。この組み合わせはすごいな、協力隊に所属されて、遠くの人たちと交流人口を増やしたいと、そこにお酒が使えるっていうのはすごい発想で、いい仕事しているなと。22歳の発想としては素晴らしいものをもっているなと、ただ勘違いしちゃだめよみたいなことはやっぱりあるよね。
  • (富田)山口さんに聞きたいが、地域の中で応援し合うような気運を高めるにはという問いかけがあったが、こういうことがつながるのではないかというのはあるか?
  • (山口)吉浜君のところで言いましたけど、だめと言わない。とにかくいいねとしか言わない。あとは年下を尊敬する話、雑談をとにかく沢山して、人を繫いだりするという、それに尽きる。町中にその空気感をつくる、そもそもあったんですが、それを失わないようにするということが大事。いま中学校に入っていって、対話の学習をやっている。否定も断定もせずに、答えも一つと思わないで、他に考え方があるかもしれないと思うとか、アイデアを繋いでいこうとか。価値観が違うと大体、あいつ嫌いってなって、価値観の似ている人間だけで固まってしまいがちだけど、価値観が違う人は自分の持ってないアイデアを持ってるかもしれないから、そういう人とも話し合いをして、新しい何かを見出していこうよみたいなことをやっている。10年間やってきているので、彼らが今20代になって、一緒に手伝いますって言ってくれているし、高校生や大学生も何か地域のためにやりたいと言って、子ども達が町おこしの団体をつくって、大学生が頭になって、中高生がメンバーとか。僕の弟子でファシリテイターの高校生、大学生いるが、地元の中学校の生徒会の研修を受けたりして、どんどんそういう空気感が広がっているので嬉しく思っている。
  • (富田)子どものうちから対話をする、そういうことが文化というか。
  • (山口)そうだと思う。それが20代前半になってきた。あと10年すると、彼等彼女等が結婚して子供を産んで、親世代も対話を理解しているということが起きてくる。だから20年続けると、そういう風土はできると手ごたえがある。東北も10年で、そういう空気を吉浜さんみたいな方が中心になってやっていけるんじゃないかなという気がする。
  • (富田)成宮さんも気仙沼で地域の子ども達への視点をお持ちだが、その部分はどうか?
  • (成宮)まさしくおっしゃる通りで、教育の中で対話的な要素を育っていくかが重要だと思っていて、僕も9年前から関わっていて、当時高校生だった子たちと関わりが続いていて、Uターンで帰ってきて今一緒に仕事をしていたり、ものすごく嬉しい。こういう空気感、風土が根付いていくのは、教育はひとつの鍵だと思っている。あと、先の自分の活動を知ってもらうという話はしたが、それと別に、最近町の中を見て思うのは、目立つ活動とそうじゃない活動もあったりする。移住してきて起業しましたというと、目立ったりするが、その地区でずっと自治会活動をされてきた方や消防団で活躍されてきた方とかになかなかフォーカス当てられないことあるので、そういったところにちゃんと自分が目を向けていくか、自分のまわりの人たちも一緒になってリスペクトしていくのかというのもひとつの鍵だなと感じている。
  • (富田)目立たなくてもずっと地域に根差した活動している方って絶対にいますもんね。
  • (成宮)そうですね。で、みなさん役割り持っていて忙しいんですよね。それは他のことに目を向けられないですよねと、わかってくると理解してくるので、そんな方ともちゃんとお話していくのも重要だと思う。
  • (栗田)山口さんのやっているところと、東北の現状を比べてみると、被災地の復興というと本当にゼロからスタートしたという感じのところでやっている。そもそもそこに人がいたかどうか、新しいチャレンジをしようとする人たちを受け入れる土壌が元々ないような地域にチャレンジしているのが素晴らしいと思う。町づくりの原点は、そこで生きている人たちが、生き生きと自分の町のことを好きになっているというか、そういうことが大事と思う。例えば古民家再生とか、商店街の復興だとか、そういう目に見える変化みたいなところを喜びながらやっていくというイメージをしたが、逆にそこには復興事業があまり関わってないよね。新しいまちがボーンとできちゃって、そこに新しい人たちがボーンと住んでるイメージがある。そこをどう組み合わせていけばいいのか、山口さんに聞いてみたい。
  • (山口)難しい問題ですね。目に見える風景自体恐らくまるで新しいものになっていて、僕は津屋崎の様な古いものを残していこうという気持ちがあるので、そこにギャップはあるんですけど、だからこそ、心の中にある今まで大切にしてきたものを、目に見えないけど受け継いでいくってことは、目に見えるものが変わっても、それは大事にしてくという、そこをみんなで握っておくてことはとても大事な気がする。
  • (栗田)その大事なものの中に、新しいチャレンジを受け入れる風土を持つってことでしょうね。
  • (山口)そうですね。間違いないですよね。間違いない。
  • (栗田)さっき、20年と言われましたけど、10年経ってあと10年でもまだ32だから、ぜんぜん大丈夫ですよね。逞しいよね。

福島県 谷 咲月氏:課題とその背景

(画像を見ながらの説明)帰還困難区域でやっている。大熊町も今はどんどん解除されてきて、復興拠点などは人が住み始めている。白地地区はいつ解除されるかわからないが、そのまま放置すると草木が伸び、木は15m級になる。牛に仕事をしてもらうと雑草を全部食べてくれる。震災前から育てていた果樹や花は、雑草に飲み込まれて光合成ができないと枯れてしまうが、息を吹き返してきている。地主さんたちが苦労して築き上げてきた農地、先祖代々の歴史とともに、外から来た人たちに伝える場も設け、大熊だけでなく、県内、県外の方、ボランティア、みんなが集う場所になっている。

一緒に考えたい課題は「どなたでも、いつでも、遠くからでも、地域の保全と発展に関わる方法にはどのようなものが考えられるでしょうか?」。背景として、農地の面積は変わらないが、帰還した人は減っている。避難する中で足腰が弱っている方が多く、後継者不足に悩んでいる。国の予算も地元の方が主体でやるという考えで、地元の後継者を大量に見つけない限り、荒廃するリスクが高まる。プロジェクトの効果は、景観の悪化や山林化、火災や犯罪、不法投棄などの解消。地域を守りたいが、避難先から通えない人でも、後方支援で自主的に地域を守れる仕組みにしたいと思っている。自分の得意を活かし、故郷は自分達で守るという方々が増えてきている。被災の経験を次に活かすのも大事だと思っていて、防災技術の先進地にできたらと考えている。地域の人達が編み出してきたいろいろな物を次の災害の対策に役立てるようなマニュアルづくりに活かせたらいい。地域保全も牛でやると低コストでできるので、地域を守るモデルにできたらと考えている。地元の方も県内、県外の方も、立場も違う中で更に活躍してもらう仕組みやアイデアを一緒に考えられたら嬉しい。

ディスカッション
  • (富田)牛はなんでも食べるんですか?と質問がきました。
  • (谷)セイタチアワダシソウとか農家の大敵と言われるものも喜んで食べる。13mの木も倒す。大熊では震災前から実証研究をやっていて、太い木も倒して木の上の葉を食べ、雑草という雑草を食べる。
  • (富田)まったく畜産や農業とは違うところから、なぜこの活動をしようと思ったか?
  • (谷)東京に住んでいて、福島の方々にはこれは東京に送った電力だということも言われましたが、何かできることはないかと探していて、最初は人の支援をしていたけど、私はエキスパートではないので邪魔になる。経験がない人ができることがなかった。私にできることを探していたところで、農家の方から連絡があって福島に入ったのが4月。
  • (富田)そういう中で地元の方とお話しながら、最初はスーツで行った谷さんが。
  • (谷)地元の方に私たちよりも大熊だけどと言われた。尊敬する地主さんにいろいろなことを教わって、その方に褒められて小躍りしていた。
  • (富田)どうやって地元の方との関係をつくったか。
  • (谷)経験もない若造で、話も何もそういう状況ではなかった。一緒に作業して、汗流して、かわいがっていただけるようになった。よそ者ということで、最初はあまりって感じだったけど、一生懸命やっているところを見てもらって、私は呑めないんですけど、呑んでる気持ちで食事を食べるとか、徹夜で語り合う。震災前からの人生のこととか、人生の教訓や哲学、家族や地域の歴史を聞かせてもらった。そういう方々が増えてきた。
  • (富田)成宮さんとして共感できるところは。
  • (成宮)相手を知りたいという気持ちが関係をつくってきたと感じる。
  • (富田)沢山の人々に関わってもらう仕組み、関わり方、見せ方での工夫はあるか。
  • (成宮)地域にある余白を見せる。ここが足りない、ここをやってくれる人がいいのにというのをちゃんとアピールしましょう。それが受け入れる力に繋がっていくという話はしている。あと話を聞いていて、実証実験の場になるのは面白いアイデア。エコやエネルギー、サスティナブルなとか、相性の良いテーマで、エネルギーの完結、循環していく実験やテクノロジーの取り組みの場になると、新しい価値とか広がりがあると感じた。
  • (谷)災害の時にも役立つもので、エネルギーを完結、循環させたりはテーマにある。そこに学生に関わってもらい、農家に協力してもらって、それを発展させて、震災の経験を次の災害を減らすために、大きな事業としてやりたいと考えている。人材もHPで募集させてはいるが、もっとみなさんに知ってもらいたい。
  • (富田)福島の地から、牛と人々の力とアイデアでこんな風に循環している地域がつくれましたよみたいな。
  • (谷)地元の方々のすごさが際立つものだったりするので、被災者の括りでしか見られないものではなく、その人たちの存在を全国の人たちに知ってほしい。
  • (富田)取り組みを知ってほしい、発信していきたいとの話だったが、山口さんからアドバイスはあるか。
  • (山口)アドバイスというより、僕が勉強してもらった。谷さんのこの底知れぬ魅力はなんですかね。グイグイ押してこないのに何か応援しなきゃという魅力、この発信力に感動した。ふるさと納税みたいなことでお金はきているか?
  • (谷)ふるさと納税ではなく、クラウドファウンディングはやっている。牛の里親になってもらうとか、ひと月1000円とか。そういうのが集まってやらせていただいている。
  • (山口)行政との関わりがわからないけど、ふるさと納税は本質では今みたいな活動を応援したいというもの。遠いところでやれることはお金を渡すみたいなことは考えたい気もする。

バズセッション(参加者同士の話し合い)

問い

地域との向き合い方に変化は起きそうでしょうか?起きるとしたら、どのような変化でしょうか?

全体共有

グループ1

被災地との向き合い方、関わり方という話になった。どうやって関わればいいか、無関心が怖いという話があったので、無関心とどうかかわるか、少しでも交流できるきっかけがあればとの話があった。夜ノ森の桜を大阪に植えて、福島との交流を続けるなんてこともできるんじゃないかとの話もあったし、被災地の子ども達を東京に呼んだサッカー大会を通じて交流していくという取り組みもあった。何かしら取っ掛かりをつくりながら交流を持てればいいんという話が出ていた。今日ご報告いただいた方々は移住を選択するほどの地元愛がある、なかなかそこまではいかないが、地元に対してどう愛着を持っていくかというのは、また僕ら自身が考えていく課題かと思う。

グループ2

現地との関わり方は10年経って変わってきている。中に浜通りから避難した方がいて、まず家族、まず子どもという視点になるとの話があった。私は、東京から救援支援の作業をやっているから、距離感は遠いものがあった。10年経ったらっていう時に、あがってきているのを見ているから、そんなに切迫していない。時間が経つほど、地域の差もあるし、直に関わる時は注意がいると話を聞いて思った。

グループ3

福島県郡山市から参加している。被災、被害当事者として、お母さんたちの小さなコミュニティをつくり、7年目になる。中通りに住んでいる自主避難のお母さん達が結構いらっしゃる。そのお母さん達が戻ってきたときに、不安を共有したり、話をする場所をつくっている。グループでは岩手の方もいて、東北3県の被災地ではあるけど、福島と岩手では離れているので、お互いの違う状況の話もできた。登壇では、牛さんがあんなに草を刈ってくれるというのは、同じ福島にいてわからなかったし、谷さんのグイグイいかない感じで現実を変えているのを見せていただきびっくりした。それと同時に、心の復興事業はまだ残っているという話もあったように、目に見えてない部分はまだあるのではないかと、当事者として感じている。宮城の内陸部の話や高齢化で福祉とコミュニティを作り上げるという話も聞けて、学びになった。

グループ4

外からの関わり、中からの関わりという意味からすると、中から見れば、外からの関わりは大きいし、地元の方への尊敬が大事という話があった。個人としての関わりを考えた時、誰でも、何処でも、いつでもということに共感するし、地元で支援する人を応援し続けるという関わり方もある。地元にいて、役に立ちたいという人に囲まれて成長する中で、その力をどう活かしていくかという時、アクセスしやすい、活動に繋げやすい環境があったらいいのにという話もあった。組織だって外から活動をしたいところに対して、地元で受け入れる環境が、行政みたいな権限を持ったところが整えていてくれたらいいのにという話もあった。当事者という言葉が壁をつくるということがあって、隣にある双葉郡といわき市でも、外から来た人。震災当時住んでいない人だったり、今住んでいたりいなかったりというところで、壁をつくられる時があるよねというのもあった。今日は新鮮な気づきをいただいたので、活動につなげていけると思った。

未来に向けて登壇者からの言葉

これからの10年とそれぞれの地域の誇りや魅力を語っていただく、山口さんにはそれを受けての感想やまとめ、栗田さんにはテーマ②の全体のまとめをいただく。

岩手:吉浜氏

今までの10年との大変さとはまた違う10年が待っている。震災バブルみたいなものがあったと思う。これからは本当に地域の底力が左右すると思う。地域でどんどん連携して取り組んでいかなければいけないと思うので、自分の役割を意識しながら、できること、自分がやりたいことに自分自身と対話して、それができる前提で、地域と対話するのを意識しながら、これからの10年間もがんばっていきたいし、どんどん巻き込めるように外向きにもやっていきたいなと思っている。宮古の地域の誇りは、あまり言葉で伝えづらいというか、来てもらえばわかるからというところがあるので、万人に受けるようなものではないかもしれないが、独特の雰囲気が自分の町にはあると思っていて、そこにはまる方は来続けるイメージがあるので、是非一回来ていただいて、何か一緒に取り組んでいけるものがあればいいなと思うし、人の好さというか、温かさは他の町とは違うものがあると思うので、来ていただいて、感じていただけたらと思う。

宮城:成宮氏

この前、市の方が「気仙沼でこれから持続的な町づくりのために復興支援という文脈を使ったんだ」という話をされていて、復興支援だからハードを整備したとか、ソフト面で何かが生まれたというよりは、これから気仙沼が続いていくためにたまたま予算が付いて、それをうまく使って融合させて前に進んでいるんだと話していた。正にそうだなというのは、10年は節目であるが、それがきちんと続いていくことが重要で、その中で、チャレンジやチャレンジャーという言葉を使っていきたいと思っている。チャレンジャーは時に孤独で、それを孤立させないのは、地域の中の繋がりやコミュニティがなので、その繋がりを意識してつくっていきたい。もう一つは、応援し合える空気。将来の気仙沼にどんな絵が描けるといいかと思った時に、例えば、町中を歩いているおじいちゃんおばあちゃんが、なんか気仙沼が盛り上がってるから帰ってきたらと孫に伝えるとか、あなたちょっと応援してみたらと伝えるみたいな風景が広がっていたら面白いと仲間内で話していて、応援し合えたり、チャレンジが生まれたりということはつくっていきたい。外の方にどう伝えていくかというと、面白さが生まれているのを知ってもらうのは最初のステップとして、何ができるかも大事だが、外の方も同じチャレンジャーとなって、意志を持って地域に入ってきていただく、これができる、これがやってみたいという力の連鎖が活性化に繋がるのかなと思っている。そういう関わりが増えていくといいなと思っている。

福島:谷氏

10年、本当に犠牲になったことが大きすぎて、その中で今生きていらっしゃる方々はよくサバイブされたなと思うし、その方々が、ご自身の経験を更に他の誰かに伝えて、記憶を記録として残すのもそうだが、それを元に他にも役立つような形で。日本全体でみなさん苦しい中にいらっしゃると思うが、今までの災害だけじゃなく、いろんなことが今後起こると思っている。そのような中で、どうやって支え合って、どうやって生き抜くか、乗り越えていくかという知恵を、東日本大震災の跡地から学ぶというのが必要であってほしいと思う。底力や持続可能って話も出ていたが、補助金に頼らない様な自治体をやってかなければと、まわりの方や地元の方々もおっしゃってたりする。本当に苦しくて、マイナスをゼロにするだけでも大変だったと思う。まだゼロになり切れていない中でも、ここを観光地化してほしい、世界のスタディーツアーの場所にしてほしい、みなさん苦しい中でも、何か自分が生きた証というか、今後の子孫たちに残せるものを考えていらっしゃっる。そういうのを私ももう少しサポートさせていただきたいし、全国の方にも協力していただきたいし、他の地域でも活きるものをみんなで作れたら嬉しいと思っている。

全国:山口氏

3人の話を聞いてキーワードとして、対話、チャレンジ、記憶と記録というのが頭に浮かんだ。町を復興していく、つくっていくのはいろんなものに例えることができるが、オーケストラのイメージが頭にわいた。、トランペットが得意な人がいれば、バイオリンが得意な人もいれば、ジャーンとパーカッションといろいろある。一つひとつ個性が違うが、ひとつの大きなハーモニーを奏でることができるという、町づくりとはそういうことかという気がしたし、奏でる音楽が魅力的であれば、自分も仲間に入れてくれ、俺も何か楽器をやるわという気持ちになるんじゃないかという気がした。そういうことをやっていくには対話が大事で、意見や価値観が違って、それは間違っていると言い始めると、対立が生まれてハーモニーを奏でられないので、お互いに認め合うことは大事だと思う。あとはチャレンジと言いながら、時に心が折れたり、不安になったり、あると思う。そういう時に一人ぼっちにならず、心の内を吐露できる安全な場があって、みんなが真剣に受け止めて寄り添ってくれる、そういう場も必要と思った。もう一つ、アフリカのことわざで「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」という言葉があって、できればできるほど、階段を100段パッと昇って、上がってこないとイライラしたりもするが、やはりみんなで一段一段昇っていくのも大事なのかと思った。遠く九州にいるが、これからも関わりを持って、学び合いながら、いい町、国をつくっていきたいと思うのでこれからもよろしくお願いします。

JCN:栗田

みなさま奇人変人ぶりをご堪能いただけたでしょうか。かなり変わった方々に登壇いただきましたが、一番大事なのは、自分が奇人変人と自分達で気づいていないというか、復興を背負っていないよね。自分達がそこに価値を見出して、自分達が楽しく、わくわく、生き生きやっているのが非常に伝わった。そういう人たちに会いに行きたいなと思ったし、宮古もいい所だから、私知ってますけど、それは行きますよ。どんどん交流人口が増えることと、みなさんみたいなチャレンジャーがみなさん方の地域に門徒を開く様な交流がはじまるともっと面白い。みなさんそういう発信ができるはずだから、悶々としている人生抱えている人達が、少し東北行ってがんばってみるかなってこともあるかもしれないし、私もいろいろ考えさせられるところがあり、可能性があると感じました。それを受け入れる土壌をつくっているのがみなさんであって、今後ともわくわく感を届けていただきたいと思った。

311kaigi2020_02_08.jpg
311kaigi2020_02_09.jpg
311kaigi2020_02_10.jpg

閉会挨拶

東日本大震災支援全国ネットワーク 代表世話人 山崎美貴子

今日は町の賑わいを呼び戻すというテーマで、お話を伺っていて、そうなんだと共感するものが沢山あったと思う。お一人は現地で生まれ、あと二人は10年間そこに身を置いて活動をされた。地域に溶け込んでいくのに、そこに移住して住んでいくということは非常に大きなことだと思う。長い間何百年とそこに住み続けている土地、土があり、血縁のつながりは非常に深い。それが災害によって一気に離されてしまった。家族もバラバラになってしまったという体験の中で、新しい町が生まれていくわけだが、災害前と後では人の流れも物の流通も、経済も土も住む場所も変わってきている。そういう状況の中で新しいものを生み出していく、何百年と培ってきたものとの間に新しい価値、新しい文化を生み出していくという壮大なことである。そのプロセスがよく理解できて嬉しかった。

気仙沼の成宮さんは持続的なチャレンジャーとして、そこから面白さを生み出していく、意思を持って入ってきたチャレンジャーというのを感じた。

谷さんは、戻ることができない原発の場所。一人では乗り越えられない様な大きな課題を持った方々が沢山おられる中で、ゆっくりだけど力強い、土地にしっかりと根付く牛さんに目をとめて、地域の中で支え合って生き抜いていく、半端ではない思いでそこに入られている。記憶を記録にしようと、もう一度作り直していく、その気概と、消して急がず着実に展開されていく力の可能性と豊かさに圧倒された。

若い、フレッシュであるが、こだわりなくうちの中にすっと入って、いろんな人と繋がっていく、吉浜さんの人間力に見せられた。前の宮古と今の宮古はまるで違うような町に変わってきているが、その流れをつくられたみなさんの、新しいものへチャレンジする雰囲気。吉浜さんの拘りなく、いろんな人と繋がりながら新しいものに向かっていく、エネルギーを感じました。

成宮さんの中に、子ども達と一緒に学校づくりに入っていかれるという様子があったと思うが、そこは面白いと思った。子どもの頃から持続的な町づくりに向かっていけるように、そこに住んでいる方がその中で逞しく育っていかれる様子に伴走されている姿に感銘を受けた。本当にありがとうございました。