現地会議
3.11の今がわかる会議 in 2020 テーマ1
今年度で10年目を迎える東日本大震災。多くの人々が大変な思いをしながら、平穏な日常生活を過ごせるよう復興という長い道のりを歩んでこられました。一方で、様々な課題を抱えしんどい思いをされている人々が今、なお多くいます。また、地域に根ざして、そうした人々に寄りそいながらともに歩んできた多くの人々もいます。10年経過した今、そうした現実を私たちはどれだけ知っているでしょうか。東日本大震災の課題は東北だけの課題でしょうか。
東日本大震災の10年目の今を知り、全国のみなさんの力と知恵をあわせて、東北の未来づくりを一緒に考えたいと思います。また、東日本大震災の課題を考えることが、今、各地で起きている災害やこれから日本が抱える課題にも活かすことができると信じています。新型コロナウィルスの影響もあり、人と会う機会が減ってきた今だからこそ、オンラインというツールを使い、全国のみなさまを東北につなぎなおしたいという思いを込めて企画しました。
開催概要
タイトル | 3.11の今がわかる会議 in 2020 テーマ1 |
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テーマ | 震災復興からの生活再建 ~生きづらさを抱える方へのまなざしとは~ |
日時 | 2020年9月26日(土)13:00-16:00 |
会場 | オンライン(Zoom)にて開催(仙台駅前会議室 会議室大Aホール) |
主催 | 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN) |
助成 | 復興庁コーディネート事業 |
参加者数 | 90名(一般77、登壇4、来賓2、スタッフ7) |
開会挨拶/趣旨説明
主催挨拶
東日本大震災支援全国ネットワーク世話団体
NPO法人シーズ・市民活動を支える制度を作る会 代表理事 関口宏聡
3.11から来年で10年を迎える。節目の年を迎えるが、まだまだ復興の過程にある。被災地が復興の過程にあったのに加え、新型コロナの影響等も、経済的、活動的にも影響がでてきていると思います。特に、困窮者への支援活動においては、社会のしわ寄せがいっており、今後より重要性が高まると思っております。私も活動の家族介護者の支援の活動の手伝いをしているが、特に若いケアラーの問題が露わになっており、新しく発見されていく弱者の方もいらっしゃると思いますので、私も勉強したいと思いますし、参加者のみなさんも積極的な質問やご意見をお願いしたいと思います。
来賓挨拶
復興庁参事官補佐 鈴木弘之様
東日本大震災から10年、復旧、復興が進む一方、引き続き、取り組みが必要な部分や新たな課題が明らかになってきている。個別化、複雑化する課題に多くの担い手や知恵、被災地域だけでない多くの方々の協力が必要と考えています。日本各地で災害が発生している近年、様々な地域で様々な取組みを行っている方々が知見を共有することは大切な事だと感じています。また、新型コロナウイルス感染の影響で、NPO等の活動に支障が出ており、オンラインを活用した会議の開催も含め、皆で工夫をしながら取り組みを進めていくことが重要となっています。復興庁としても、心の復興やコミュニティ支援等、被災地域の復興の課題に応じたNPO等の活動を支援していくとともに、この10年間のノウハウや知見を活かして進めていくために検証を進めてまいります。本会議を通じて、被災地の現状を知るとともに、東北の未来づくりを全国のみなさんで考える場となることを期待しております。
パネルディスカッション
「知る」:10年目の東日本大震災の現状と課題
「探る」:課題解決に向けて経験や知見から知恵を紡ぐ
登壇者紹介
【コーディネーター】東日本大震災支援全国ネットワーク 代表世話人 栗田暢之
今日のテーマである、震災復興からの暮らしの再建、生きづらさを抱えた人へのまなざしというのは、震災10年を考える上で一番の課題だろう。この課題について話し合ううえでお話いただく方々を、JCNの地域コーディネーターが選りすぐってお招きした。また、普段の生きづらさを抱えていらっしゃる方に支援を行っている、朝比奈さんにも来ていただきました。まずは自己紹介からはじめていただいて、それから、4人でディスカッションを進めて行きたいと思います。
【岩手県】特定非営利活動法人フードバンク岩手 事務局長 阿部知幸氏
10年前は営業マン。東日本大震災がなければこの世界にいなかった。内陸部に被災者支援センターができる時に誘われたところからはじまり、いろいろな方の相談にのる中で、この人を救う術がないのは何故かという疑問や、震災がなくても将来的には困ることになったんじゃないか?というところから、被災者支援の枠だけでは、困っている方々の生活支援はできないだろうということで、フードバンク岩手を立ち上げた。10年を迎える節目で、どんな課題があったか、課題を変えていかなければ、今後の災害に耐えられないのではないかというのを被災3県から提言していきたい。今日はこれまでの取組や、この先やらなければならないことをお話したい。
【宮城県】一般社団法人パーソナルサポートセンター 執行役員 平井知則氏
民間企業の営業職から足を洗い、学生の頃学んだ福祉のことということで、ホームレス支援に関わったのが被災半年前だった。発災後、地元で炊出しなどの活動を行いながら、被災者の就労支援のための企業開拓を任せられたのが、被災者支援に関わりはじめたところと思う。現在は、生活困窮者自立支援センターのセンター長として、生きづらさを抱えている人の課題解決に取り組んでいる。PSCがなぜ被災者支援に関わるのか、生きづらさを抱えている人、震災がおきた時に大事なことはなんなのかについて、みなさんと議論を深められたらいい。
【福島県】特定非営利活動法人いわき自立生活センター 理事長 長谷川秀雄氏
本業は障害者福祉事業で難病者支援等を行ってきて、約90名のスタッフで支援にあたっている。いま、コロナウイルスの感染に対して現場はピリピリしている。311直後の福島県民の直面した問題と似ている。見えない匂わない恐怖心が引き起こしていることが人々に反応を起こしている。二つ目の仕事が、被災者支援のみんぷく理事長、みんぷくは被災者を支援する連絡協議会で、みんなが復興の主役という名前。県の委託事業で6年間、原発事故で県内に避難している方の復興公営住宅にコミュニティ交流員を配置している。ふくしま連複は県外の避難者支援の支援をしており、お互いに情報交換しながら主に原発避難者の支援をしている。今日は新しい復興の10年に向けて踏み込んだ議論ができたらと思う。
【全国(千葉県)】中核生活支援センターがじゅまる センター長 朝比奈ミカ氏
大学卒業後、社協で働いていた。当時、最後に残っていた求人票が社協だったため、そのまま就職したが、福祉現場の中間支援組織の様な役割りを果たしていて、そこで様々なことを学んだ。堂本暁子さん知事の時に設立された中核生活支援センターという、どんな人のどんな相談も、24時間365日受けられるという魅力に惹かれ転職をして依頼、千葉で相談支援の仕事をしている。非常にチャレンジングなことだったが、とても良かったのは、行政の縛りがなかったことだった。そのノウハウから、よりそいホットラインの手伝いもしている。生活困窮者自立支援制度のモデルの一つにも紹介されている。今は、市川市の自立相談事業でも働いている。今日は、生きづらさを抱えた人たちというテーマということで、一緒に参加させていただくことになりました。
岩手県 阿部知幸氏:課題とその背景
今日は「なぜ被災地と呼ばれるところでは生活再建する事ができない人がいるのか?」を考えていきたい。2017年度の岩手県の人口比率、沿岸部が17%だが、食料の提供件数は849件で、人口の比率に対して倍35%の食糧支援を要した。これは被災からの脱出が難しいことを表している。
現状の支援制度は「被災者生活再建支援法」の名前になっているが、住宅支援が主で、人を救う制度になっていない。被災時には住宅被害だけでなく、多くの困りごとが発生するが、その困りごとをケアすることができない。課題としては大きく3つあると思う。一つは制度と運用の問題。制度が脆弱である。中身が複雑であり、行政が運用しきれていない可能性があるのではないか。
2つ目は、災害支援の継承ができない、しにくいところがある。災害は状況、場所によって様々。支援にあたる者もはじめてのことに取り組まなくてはならない。平時の防災的な観点からの取組みがなければならない。3つ目、課題解決先進地にはなりきれていない。点では良い活動はできていることも、岩手県全域、面ではやりきれていない状況。
フードバンクとしては、行政や社協と連携して、岩手県全域で食でのセーフティネットの構築した。子どもの貧困対策として、SOSを出せていない、将来、困窮に陥りそうな方へのアクセスを広げる。食品ロスの軽減、フードバンクの確立のための働きかけや制度づくりについて全国のFBと一緒にやっている。一方で災害時に生活に困る人が出るところで、岩泉ではケースマネジメントを各団体と連携してワンストップでの相談事業を行った。災害の後、いろいろな部分で伴走して支援していくこと、それを提案し、制度に落としていきたい。
ディスカッション
- (栗田)東日本大震災によって困窮世帯が増えている。宮城でも同じか?
- (平井)仙台に人口が多いので、そこまで目立っていない感じはする。
- (栗田)その日の職に困る。画期的なのは行政、社協、民生委員がアプローチして、フードバンクからお届けする仕組みをつくったこと。
- (阿部)通常の行政機関から入ってくるSOSは、困りきってからつながる風にしかならない。広い枠の困窮者支援を考えた時、困る人を生まないというところでは、早期に芽を摘んでいくものが必要という意味で、掘り起しの事業もはじめていった。
- (栗田)今はコロナでもっと増えている状況かもしれない。
- (阿部)例年では800件~900件、3月以降でいうと増え始め、5月の頭には2倍まであがった。今年1年間を通してみると、例年の1.3~1.4倍になると思う。
- (栗田)こういった行政、社協、地域と連携しているケースは全国でもされているか?
- (朝比奈)必ずしもそうでもない。アプローチは2つ。面的な支援をつくっていく、地域福祉的アプローチ。一人ひとり、目の前の課題だけでなく、本人が気づいていない問題にアプローチする。その両方が必要。食糧支援というSOSはわかりやすいが、その日の食べるご飯がないという向こう側に何が起きているかを見ていかなければならない。
- (栗田)一人ひとり、1世帯1世帯の関わりをしていかないということだが、アドバイスができるとすれば?
- (朝比奈)阿部さんの活動で重要だと思ったのは、子ども達への視点。各分野が、大きくなった子ども、18歳の年齢に近付いた人達を支援する手立てがほぼない。職を通して、孤立させない。親や学校などだけでなく、第3の選択枠として、地域のつながりを持つことにフォーカスしていることが参考になった。
- (栗田)阪神淡路大震災で1780億円の義援金が集まって、割っていくと全壊した方の最高でもらった方が40万くらいで、最初の一歩を踏み出せない。そこで様々な方の働きかけで、被災者再建支援法で最高300万円までできた。それは評価しつつ、住まいの再建。住居の支援しかなく、総括的に見た時、それ以外のところに支援が届いていないんじゃないかということ。そのあたりをもう少し説明を。
- (阿部)阪神の時とは経済状況も違うというのと、地域も割と都市部に近かったので、家を再建すれば一定程度まわりに仕事があった。東日本では、家を再建しても仕事がない。その地域の再建が上手くいかないとわかった。住居は大切だが、その先の福祉的な要素を取り入れた制度になってないと、食の支援が倍のままの状況が続いていくのではないか。一歩目として、個人の財産のために加算支援金の制度ができた。もう一つ先の支援を考えていくところに入ったと思う。
- (栗田)暮らしの再建という意味では、地域全体が弱まった状況の中で、確かに見た目は復興は進んでいるが、そこに暮らす人の実情というのは今までとは違う状況にならざる負えないのが続いているか。
- (阿部)ハードは復興が進んだように見える。住居というところだけなので、もっと拾い暮らしということで、職場が流された人は、会社が再建しなければ無職のずっとまま、生活保護を受けたらいいという人もいるが、それで人が満たされるのか、それを見ていかないと、自ら命を絶つということは、暮らしや福祉的要素が入っていないから置き続けるんだろうと思う。
- (栗田)平井さん、その辺りどうお考えですか?
- (平井)家がない、お金がないなどは現象。生きづらさ、生活に辛さを抱える人っていうのは、なぜそうなったかというのが大事。被災して家がなくなったけど、実は被災前から辛かったといのが、あったのかなかったのかでアプローチが違ってくる。それを一律でやっていくのが無理がある。根本的な課題にアプローチ、多様なアプローチがなければ上手くいかない。一方、政策として出すのは難しさはある。
- (栗田)それは公的な支援と民間それぞれの役割りをはたしていくという、一つが阿部さんの行うフードバンクの活動ということなんでしょうね。FBだけでなく、根本的な解決につなげる道筋をつくることやっていくということですね。
宮城県 平井知則氏:課題とその背景
パーソナルサポートセンターは発災1週間前にできた。発災後仮設住宅の見守り、被災者の就労支援という被災者中心の支援を行ってきた。H27年度以降はほぼ生活困窮者の自立支援事業に特化している。被災者の括りがない中では、困窮者支援の枠組みと同じ様な支援が被災者支援で重要だった。居住支援は困窮支援の中でも重要なファクターでニーズが高くなっている。
今回考えてみたい課題3つ。被災者支援・復興支援で培ったノウハウや仕組みが「その後の大規模災害で活かせているか?」。これは、毎年大きな災害が起きるが、未だに東日本と同じ課題で困っている。経験した人間がそれを継承できていない。残し方を考えていかないと感じている。
2番目に「平時の支援に埋もれてないか?」。被災者・困窮者支援の中で、一人ひとりに寄り添うと作り上げてきたものが、制度の中に取り込まれ、委託で受けるようになって、制度や仕様書上のことをやることが支援になっているのではないか。
そういう意味で、3つ目「あの時の想いを現在ものこせているか?」。当初はやったことがない事に対して、なければ探す、作り出すのくり返しだった。命を救われた我々がその使命をはたせているか。生きづらさを抱える人がいる中で、当時の様に、目の前の困っている人にしっかりと向き合えているか、支援する側が考えるいい時期じゃないか。なんとなく制度の中に埋もれて、あるものを探すだけだと、自分達で培ってきたノウハウが薄まり、制度に埋もれてしまうことを繰り返してしまう。支援する者としてやってはいけないことだと思っている。
ディスカッション
- (栗田)これは全部委託事業ですか?自主事業はありますか?
- (平井)障害者の就労移行支援が自主事業。それ以外は委託事業です。
- (栗田)発災後、すぐに炊き出しを行ったが、いま委託が多い。そもそも被災者は誰か。被災者の区分というと罹災証明ということで、それが原点になると被災者という区分が歪められてしまう。本当は暮らしがどうなったのかを考えなければならない、そこに寄り添ってきたはずだと。仮設住宅の見守りだけではなく、次のステップを考え、就労支援もされましたよね。これは委託事業のメニューにあったのか?
- (平井)うちから提案した。調査事業や訪問支援をしたときに、就労支援をして欲しいとの声があった。仮設やみなし仮設の人の収入、所得を上げることと、何年後かに転居支援が必要になるとわかり提案した。
- (栗田)被災された方の生の声を聞き続け、調査で数字で表して、これが必要だという提案をして、事業に反映された。
- (平井)それから就労支援センターができた。仕事が決まらない、続かない人には、普段どういう生活しているか、それが高齢者の生きがいにもつながるのではないかということで、毎日通う場所をつくった。ニーズに合わせてつくってきたことが良かった。今は新しいニーズをつかむことに感度が悪くなっているのではと話し合っている。
- (栗田)そういうことをできていたということで、これからどうするかが大きい。平井さんがやってきたことは伴走支援ですよね。それはすごく難しいことと思うが、朝比奈どうしてらっしゃるか?
- (朝比奈)困窮者の支援制度の法改正で、社会的孤立が取り上げられ、孤立も生活リスクのファクターとなった。おそらく、仙台や宮城の地域でPSCの歩みの過程でPSC以外にも支援のアクターができてきている。それがテーマとして社会化されて、担う人がでてくる。伴走するというのは、一人の人や事業所がベタでついていくということではなく、その人が人生の中で危うくなったときに、手を差し伸べられる相手がいるかが重要。そういいった人が多少誰かに寄りかかったりしながらも大きな穴に落ち込んだりしないという視点を持って、個別の支援や仕組みを組み立てていくことが必要。
- (栗田)PSCが蒔いた種は地域で芽吹いているのではないか。そういう実感はないか?
- (平井)仮設から民間に移る過程で、受け入れる所がないところを、迷いながらやってきた時に、全国で居住支援をしている人達と会い、聞きながら吸収して、それを発信できてるのかもしれないけども、うちが種を蒔いているかどうかはわからない。
- (栗田)委託漬けになっているのは事実だが、やりようによっては創造的にできるし、やっていると思うが?
- (平井)委託事業に新しいものが入ってくる中で、もっと現場の声や困っていることに真摯に向き合う必要があるということと思う。やり方にこなれてきているのがよくないのかもしれない。自分自身に対しても思っている。
- (長谷川)全く同感。委託の弊害を感じている。収入の安定、信頼を得られる一方、受け身になったり、制度の枠でしか発想できなくなったり、困っている人がいても見えなくなったりする。社会的資源としての自覚を持って、復興できたから解散ではなく、次のステージに向けて構想力が必要だと思う。
- (栗田)委託事業は悪くないが、そこに埋もれてしまう、こなれてしまうということで、これからの10年を考えたいという話である。
- (阿部)PSCの場合、先行的にやっていることで、委託であっても想像してったものだと思う。委託で線引きされたとき、漏れてしまう人がいるというと、いろんなチョイスがある中の一つに委託があるくらいの自由度があるとグレーのところを取りこぼさずできると思う。安定的な資金だけを考えると、目的と手段が逆になってしまう葛藤はある。
- (栗田)生きづらさを抱えた方々が、これ以上大きな穴にはまらないように、そこをブレずにやっていく、気持ちをどう続けて感じることが重要なポイント。
質疑応答
- (関口さん)被災者は誰なのか。新型コロナの感染者と当時の福島の差別と同じような起きているのは残念。制度事業と民間の活動では、同じ被災者という言葉で使って議論せざるおえないが、議論を深めるには、行政と民間が使う被災者というまったく違う者をさしていると中止て議論しないと議論が混乱するんじゃないかと印象を持った。民間としては、困っている人は被災者。改めて認識させられた。
- (栗田)質問がなれば、阿部さん、平井さんから、生きづらを抱えた人の事例の共有をお願いします。
- (平井)災害公営住宅で生活することが難しくなって退去、民間アパートで家賃滞って退去せざるをえないから探してくれとか。震災がなかったら住みやすいところに住んでいたはずなのに、家族関係がうまくいかなくなる、精神的につらくなる人もいる。人との関係性、地域との関係性が大きい。
- (阿部)田舎の地域なのでSOSを出しづらい。民生委員が亡くなられて、見守り役の引き継ぎができなくなってしまったことも。自身は被災していないが、両親が沿岸部に住んでいて、田畑が流され、送られてきた野菜などがなくなったことで、生活が難しくなることで苦しくなることも。いろいろなことが重なって困窮に陥ることもある。
- (栗田)もう大丈夫という人もいれば、そうではない人もいることを忘れてはいけない。
福島県 長谷川秀雄氏:課題とその背景
福島は震災と原発事故、2つのことがおきた。これは明確に別のことで異質な出来事。県民の中では一括りにしている。県民の忍耐強い東北の人々の心象なのかなと。2つの出来事は明確に分離していくべきであるし、支援のあり方も別々であると整理すべき。
子ども被災者支援法の理念をもう一度確認する必要があるだろうと思う。それは、留まる、避難する、帰還するの自己決定を尊重して、その実現のために支援をしますというもの。現状は帰還する人の支援にシフトし、帰還しない、できない方々への支援が手薄になっている現状がある。
帰還しても平均すると3割、3割復興だと。帰還しても生活も生業も厳しい。帰還した方々と廃炉作業員とその家族が住民としている。高齢者が多く、作業者が多数になっていくだろう。新しいコミュニティをどうしていくか。作業員は住民という意識は持ちづらいと思う。高齢者は移動手段も厳しく、地域住民で助け合いがなければ孤立は深まっていくだろう。そこに関わりをもってもらうのがNPOの役割りの一つ。
風評被害、汚染水問題で不安を持つ人も多い。農業の再開しても、明るい未来が開けない。観光業も苦しい。
これから、被災者全体の支援から、生活困窮者への支援にシフトしていく時期かと思う。復興施策から、一般財源を使った支援を見据えていかなければならない。みんぷくでは現在60名が住民と接しおり、避難先の住民にとって、役場等が戻ってしまった中、最後の相談相手になる。人口減少、経済活動が疲弊していく中で、生活困窮者が増えていくだろう。住民の社会的連携をつくっていく、助け合い活動を強化しないと悲惨な状況になる。我々が持っている社会的資源を活用していく、復興住宅に入ってくる若い世代が支援に関わる助け合い機能をつくることができないか。モデルケースにしていけないかと思っている。
NPOの活躍できる社会をつくっていく。単年度の委託事業ではなく、復興基金のようなものを官民で集めて、市町村、NPOが話し合いながら、柔軟にメニューをつくって、課題解決の取組みにしていくことを次の展開として提案していきたい。
ディスカッション
- (栗田)子ども支援法によって、帰還する自由、留まる自由が保証されているにも関わらず、帰還支援事業の一環としての広域避難者支援事業になっている。放射能汚染は福島県だけでない。その課題に対して、明確に分けることはできない。10年経って3割復興という現実。先が見えない状況が続いている。戻られた方も高齢者が多い。現地に行くと人はいるなというイメージだが、これはほぼ工事関係者ですか?
- (長谷川)工事関係者とあとは復興に寄与したいNPO等の移住者、それは二桁の人。もともといた方の3者。広野や楢葉は7~8割だが、他は1割以下で頭打ち状況。
- (栗田)更に追い打ちをかけるのが風評被害。廃炉に向けた汚染水の問題など課題山積。そこでコロナの追い打ち。南相馬では孤独死も発見された。どうしましょうね?
- (朝比奈)よりそいホットラインで広域避難の仲間もいて、避難者とカミングアウトできない人もいる。例えば福島からの広域避難であっても、その形容詞だけでその方の前後を説明できる訳ではない。その人に関わったり、支えをつくろうとした時に、特に福祉の領域で働いていた立場の人間には、障害や高齢の枠組みだけで考えようとしたり、所管がとか何とか局とかそこしか見ないという現象がおきていて、縦割りは私たちの中にも潜んでいると課題として感じる。福祉コミュニティはいろんな人が雑多でいる。不協和音も含め、重なり合いはOKというような発想の転換で、活動していかなければならないのかなと思う。
- (栗田)いろいろあるもんだ、生きていくということは。その中でより困った方々にどういう目線を向けられるか、無関心な私たちが原因をつくっている。それを行政や制度にしているかもしれない。私たちの生き方も見直していかなければ、特に福島の課題は深刻になる。
- (阿部)助け合い機能がある福祉的集落はいいな。子ども支援法なんて制度自体がネグレクト的にほっておかれている。孤独死は一定程度仕方ないが、2か月後という孤立死的なところは、福祉的集落ならなくなるのでは。震災直後、福島ナンバーが来るといろんなことがあった。今のコロナで東京の人達って同じ状況だと思う。そういうことを知ることによって、そういうことをなくせるのではないか。どういうことも同じようなことが起こるのをみんなで知る機会だと思う。
- (平井)特に福島の課題は絶対的に自己責任ではないで、理不尽でしかないが、いい案もなかなか難しい。課題解決は難しいが、まずは理解する、受け入れる、受容する。まずは私たちも寄りそうよという気持ちをもつことしかまだできないかなというのが正直なところ。受容することが大事。全国の人にもわかってもらうことが大切。
- (栗田)理解するには知らなければならない。それをずっとやってきたのが支援員。その支援員は税源がなくなれば終わりではなく、その人たちを大事な社会資源としてしっかりと寄り添っていける様な支援体制が必要だということですよね。
- (長谷川)最初は万年や1年の単年度事業だったが、3年委託として、じっくりと住民と向き合って福祉的な仕事に移行してきた。なんでも受けますではなく、提案し、条件をつけたり、正式な委託契約の前に相互理解をしてイコールパートナーで成果があがってきたと思う。
- (栗田)創造的支援を行うには、イコールパートナーでないといけない。更に復興基金をつくらなきゃいけないという大きなテーマですがどうですか?
- (長谷川)ソフト面の復興に関することは、国が指揮してやる時代ではない。財源は地方に分与して、自治体裁量に任せ、そこに民間からもお金も集めてやっていく。最初のかたまり、お金についても官民で回す新しい文化を築ければと思う。
質疑応答
- (あいち防災リーダー会・伊藤)福島の原発で避難された方の家族。10年前は、原発で汚染されているんではないかということで学校に来てもらっては困る。仕事に就けないというようなことがあったが、最近はどうなのか?除染作業員が地域のコミュニティアから外されるようなことはあるのか?
- (長谷川)今は目立った被害は聞かれない。作業員に対する住民の違和感、集団へ不安感、いわきでも作業員の宿舎をつくる反対運動があったりして、そういう差別に近いんじゃないかと思うこともある。外野から言うのは簡単だが、住民からすると難しい思いもある。
- (栗田)県外避難者への差別は聞かれなくなっただけで、実際はわからない。カミングアウトしない、隠している、触れさせない、どこから話せばいいかわからない方もいる。特に自分の意志で避難したわけでない子ども達が私たちの視点として大事なところ。一方、福島県内でもいろんな風評を越えた差別的な扱いもあると聞いて、この10年なんだったのかと、現実はそういうことが続いているということ。課題が解消されたと言えない状態に驚いている。
バズセッション(参加者同士の話し合い)
問い
生きづらさを抱える方々へのあなたのまなざしに変化は起こりそうでしょうか?(まなざしは変わりそうでしょうか)
全体共有
グループ1
グループ3人とも仕事で問題に携わっている。解決のステップを考えると、知る人、理解する人を増やしていくこと。キーとなる人が周りの人を巻き込んでいくこと。二つ目は、問題が深刻、重いので、明るい未来を想起させるものが出口に見えると、結果としてネガティブ要素が減っていく、そのような打ち出し方ができると巻き込める人が増えてくるかもしれない。そういう形でメッセージを打ち出せたらと思う。
グループ2
グループは4人。SOSをあげられない方にどうするかという話があった。あとは、被災者という言葉、捉え方の違い。そういった面も防災にどうつなげていくか。個人的には、毎月福島へ行っているが、いまは行けない時期で、現状がどうなっているか、必要とされることは何かをお聞きできればと思い参加した。
グループ3
浪江、石川、東京、石川の4名。まだ課題があるのがわかったが、10年で区切れるものかという共有があった。支援者の生きづらさがあるという言葉もあって、まだ東日本のサポートに関わっているのと言われることも多いと話があったので驚いた。
未来に向けて登壇者からの言葉
岩手:阿部氏
入っていた質問もふまえて、フードバンクの食費があがっている→企業の開拓、地域の差分を埋めることを考えている。各団体の基盤強化で1.5倍を確保できるのではないか。財政の限り→大きな災害があった時、それ以降困っているのはみんな被災者。みんながそんな認識になればいいのではないか。仮設住宅と災害公営住宅を合わせると1500万、場所によっては公営住宅一戸当たり4000万かかっている。であれば、一人ひとりに加算金を出すことで、将来的には安くなると考えられる。今の現物支給を給付に変更することで、行政の手間を省く、ニーズにあった支援につながるのではないか。そういったことをみんなで考えたい。これからの10年を考えるときに、SDGS、課題先進地ではあったけど、課題解決の先進地にもなったと国際社会に発信できるくらいになってこそ本当の復興かと思う。いま点にある良い取り組みを面にしていきたい。
宮城:平井氏
自分自身勉強になり、新鮮な気持ちになれた。この先、何が大事か。もう一回困っている人はどこにいるか謙虚に見る必要がある。これまでの経験だけでなく自分の目で見て。何が困っているのか、何が必要なのかを聞く力も必要だと感じる。我々、サードセクターが官民で協働し、役割分担をして、生きづらさを抱えている人と向き合っていきたい。
福島:長谷川氏
今まではやることが見えていた。現場に行けば支援ニーズは見えていたし、やることは迷わず確定できた。これからは我々が何をやるのか選ぶ。構想力が大事。考えることは楽しいということがわかれば、希望が持てる活動になると思う。NPOこそ、奇想天外のアイデアを持ってやっていければと思う。
全国:朝比奈氏
本質的なことに気づかされた。千葉県の台風被害で感じたこと、取り残された人はそもそも課題を抱えていたことが、災害によっておもてに現れたり、貧困や抗力が強化されるということで、支援につながったと考えれば、非日常がとても大事。昔、戦争の講義を聞いていた時に、戦争は平和なときに準備されるとおっしゃっていたのを思い出した。バズセッションでの、あなたの眼差しは変わったかの質問では、一般論ではなく、グループ3人のみなさんが、すぐに気になる誰かを思い浮かべていた。何ができるかわからないけれど、気にかける、声をかけてみようとか、そういうことがとても大事。3人の方からそういう話を聞けたのが良かった。
(栗田)10年を前に大きく復興だという気分にはなれないという被災者の声を聞くが、今日その理由がよくわかった。課題山積。個別化、複雑化、深刻化している。謙虚に創造的支援を心掛けていかなければならない。10年を期に改めて考えていかなければならないことが沢山ある。今後は被災地に行きたくなるような若者の登壇、JCNツアー、広域避難者支援のミーティングを企画している。引き続きみなさんにもご参画いただき、課題に向き合ってまいりたいと思います。
閉会挨拶
東日本大震災支援全国ネットワーク 代表世話人 山崎美貴子
どこに課題があるのか、何に向かっていかなければならないのか。信頼を取り付ける時の食事というのは色々な意味をもつ。全国の子ども食堂は形を変えている。企業も入ってきている。流通の仕方も変わってきている。情報をみんなで共有することが必要と感じた。仮設住宅から復興公営住宅に移って、住宅の整備、箱ものは進んだがそれでものが解決するわけではない。一人ひとりに寄り添う中で、どんな課題があるのか、貧困、暴力、絶望、そうしたことへのいろいろな提案をされました。東日本大震災は終わっていません。課題は複雑化、多様化しています。それらに対して立ち止まることなく、創造的、改革的な支援を、明るい未来にむけて作っていく。困難の中から何を見出すのか、どこに光を当てていくのかをお話していただいた。これからも多くの人たちにツアーに参加してもらい、感心を持ち続けていただく、困難のあるみなさまと連帯していく。阪神と比べると行政との距離は近くなってきて、企業がかなり入ってきている。こうした関係を密にしながら、届いていない支援を創造的、開拓的に考えていく。資源は作らなければ生まれない。既存のものだけではなく、そこにどう対応していくのか、私たちの力と創造性が問われている。問題山積地域ですが、問題解決地域としてのストックを作っていきたいと思います。よろしくお願いします。