東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)

現地会議

第10回 現地会議 in 宮城

第10回目の宮城での現地会議は、2014年10月29日(水)に気仙沼市においてセミクローズドで開催しました。宮城県では、2014年度から災害公営住宅への入居が本格化しています。被災住民の深刻な課題が以前より増して見えづらくなった一方で、新たなコミュニティをつくる民間の取り組みも始まっています。そこで本会では、宮城県県北地域における「恒久住宅移行期におけるコミュニティ支援体制を考える」をテーマに、地域NPO・社協など支援者同士が互いの立場を理解し、住民を主体に行政・企業などと協働しながらどう課題に取り組むかをグループワーク形式で話し合い、その後のパネルディスカッションでご意見を共有しました。
登壇者の主な発言 資料等 開催概要

パネリストの主な発言

牧秀一 氏(NPO法人 よろず相談室)

神戸は、被災者が復興住宅に移って17年が経っている。ちょうど復興住宅に移る当時、仮設の自治会長が「わしらは復興住宅にいくのも地獄、仮設に残るのも地獄、いっしょやねん」と言ったのを覚えている。それは復興住宅の入居方法に優先順位と抽選があったから。優先順位があったため入居した半分は高齢者・障害者になり、若い人はほとんどいなかった。当時、行政も20年経ってどんな状況になるか想像できなかったのだろう。この阪神の20年後の現状は、気仙沼では3年後の話になると思う。
例えば100世帯が入居する。ほとんどが高齢者・障害者。抽選なので隣の人同士を知らない。高層マンション型の復興住宅は隣の音が聞こえない。入居者のうち3分の2は亡くなった。残りの3分の1の半分は施設に入った。残りの6分の1が復興住宅に残っている。5年前の朝日新聞の調査では1日中話をしない人が16%以上。3日に一回の外出が半分。その外出も8割が通院。地域活動への参加はなし。ボランティアの訪問はない。それは5年前の調査なのでいまはもっと劣悪になって、ほぼ100%のひとが通院になっている。僕の知っている人で1日に8回通院している人もいる。生きた心地がしない。これが現状。
高層マンション型の復興住宅は一人暮らしの住む居住空間ではない、若い人たちが住む、隣同士が関わりを持たなくて行きていける人たちの構造。復興住宅として、それが最大の弱点だった。先日も飛び降り自殺があった。阪神淡路大震災から20年。神戸では空き室に非被災者も入れて満室にしたが、気仙沼では空き室になっても新規の入居はできない。これは本当に考えないといけない。
僕らはよく「コミュニティが大切」という。それは地域住民と復興住宅居住者とのコミュニティ、または復興住宅の中のコミュニティの形成を云うが、僕らは神戸でほぼそれに失敗した。原因は、復興住宅の住民は地域住民にとっては「よそ者」だから。この感覚があるとコミュニティなどできない。
ただ、そのなかでも子どもを介したお祭りは解決策になった。復興住宅が立ち並ぶ地域に開かれる秋祭りでは、子どもたちが練り歩く姿を地域の人も復興住宅の人も涙を流して見ている。お祭りやイベントが年に数回でもあれば、地域と復興住宅の人たちの関係がよくなるのではないかと思う。行政は、安否確認はできても話し相手になることは難しい。お茶を飲みながら話し相手をするボランティアはこれからも必要だと思う。行政の施策だけでは被災者は救えない。

浜上章 氏(宮城県サポートセンター支援事務所)

私の住まいは兵庫県の川西市。20年前に川西市社会福祉協議会の職員として避難所や仮設の支援をしていた。阪神淡路の経験教訓をお伝えすることで、被災者のお役に立てばということで2年前に宮城県に来ている。阪神淡路の支援者は当時は目の前のことで手がいっぱいで、先を見越した取り組みができなかった。振り返って「ああしておけばよかった」と思うことをお話ししたい。
仮設住宅、災害公営住宅、それを受け入れる地域の3つに分けて、状況や課題がどう変化したのかをまとめてみた。
仮設住宅に残る方は取り残され感、心身の機能低下、自治会の役員が抜けていくことによる自治会機能の低下などがある。行政からくる情報を理解して判断するのが一番難しい人が、最後まで仮設に残ることになる。
災害公営住宅に入るまでの不安としては新しい住宅に入る不安がある。集団移転は集落ごとなので周りは知っている人同士だが、災害公営住宅はいろんなところから入ってくるので、人間関係や支援を受けられるかなど様々な不安がある。生活音が聞こえていた仮設とは違って、独りの生活空間にになり、関係性が遮断される。隣同士の状況を把握できくなる。すると変に気を使うようになって、結果として孤立してしまう。
災害公営住宅に入ると、支援側がもう被災者は自立したという認識から、支援を減らしてしまう。行政から自治会をつくるようにと言われルールができるが、10年も経つと役員が高齢化したり、後継者が育たなかったりで機能しなくなる。統計をとると、災害公営住宅では高齢・単身世帯の数が入居時すでに、神戸市平均の倍だった。場所によってはもっと多いところもあった。時間とともに高齢化が進み、経済的・健康的な意味で要支援者が増えていった。
災害公営住宅を受け入れる地域にとっては、よそものが来るのが心配。被災した人とそうでない人の感情の軋轢の問題もあった。災害公営住宅移行期の支援は、いま思うと失敗と言えるのかもしれないが、教訓としては7つある。

  1. 被災者が判断・選択するための丁寧な情報伝達。だれにでもわかるように伝達して一緒に考える。
  2. 仮設住宅から災害公営住宅まで一貫性のある支援が必要。阪神淡路は仮設住宅をでたら終わりという認識があった。移ったあとの受け入れや同じ支援者による支援をするなど。
  3. 災害公営住宅の周辺地域による受け入れ態勢づくり。これはできなかった。入居が始まる前から話し合いや交流会や勉強会、マップづくりなど場の設定。集会所は復興住宅の入居者だけで負担すると使われなくなる。元の地域と一緒に使う。
  4. 周辺地域を含めたコミュニティ支援の体制づくり。同じ地域住民として復興住宅の住民を別にせず、一緒に考えていく。
  5. 住民同士の見守りの充実。阪神淡路では行政施策として、高齢者世帯が多い復興住宅にはLSA(※生活援助員(Life Support Adviser)常駐して高齢者の見守りを行う)が常駐した。結果LSAに依存する傾向が生まれ負担が増えた。
  6. 要支援者には福祉制度の積極的な活用を。制度を活用して専門機関のサービスを入れる。
  7. 入居前から行政部局が連携をすること。復興・住宅・福祉・地域づくりの部局が想定をしながら、自治会ができたから安心ではなくて、継続して相談やフォローをすることが大切。

鈴木美紀 氏(社会福祉法人 気仙沼市社会福祉協議会)

災害ボランティアセンター立ち上げ時の、NPOと協働した経緯を説明したい。
気仙沼市社協は、本所が被災したため、老人福祉センターに仮設事務所として本所を設置した。災害ボランティアセンターは3月28日に市民健康管理センター「すこやか」に設置した。設置するまでは、設置場所の確保、人員の調整などにかなり時間を要した。気仙沼市社協職員10名、近畿ブロックから応援員8名、支援に入っていたNPO職員8名の計24人のスタッフで立ち上げた。運営は、NPO・NGO、企業、県行政、地区社協、応援の社協職員など20団体ほど。みなさん長期で入っていただいた。専門家、地元のボランティアさん、個人のかたにも運営に関わってもらった。
NPOと一緒に活動できた理由は、3月16日か17日にSVA(公益社団法人シャンティ国際ボランティア会)の白鳥さんが社協に来られて、「ボラセンの立ち上げを一緒にやりたい」とおっしゃっていただいたから。白鳥さんとお話する中で、新潟での活動や宮城県社協の方との活動の経験のお話、支援P(災害ボランティア活動支援プロジェクト会議)に所属されているというお話もあった。支援Pは聞いたことがあったので安心できると思った。また、震災前からNPOとの連携という意識が社協の中にあったことも理由としては大きい。

白鳥孝太 氏(公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会)

災害ボランティアセンターは、複数の団体さんとともに運営した。気仙沼市内で、情報共有するための場作りを行政も参加していただいて行った。当時のその場作りは、最終的に気仙沼NPO/NGO連絡会の取り組みにつながった。
2011年5月当時、気仙沼で活動している35団体(地元は4団体、31は市外県外)にお声をかけた。実際にはもっとたくさんの団体があったと思う。どこでどんな活動をいつまでするのか等を資料にまとめて関係者に配った。7月には、気仙沼市長を座長とした震災復興市民委員会の委員へ「一緒にやりましょう」というメッセージも送るなどした。
NPO/NGO連絡会は、週1回の頻度で会合を開いた。支援が重ならないようにするとか、偏らないようにするとか、グーグルマップなどを使って団体間の活動の調整を試みた。
今は復興公営住宅の状況と課題について情報を共有している。今後は外からの団体は減り、地元の団体が支援を続けることになると思う。
来年1月から災害公営住宅の入居が始まる。外部団体の支援は徐々に減っていくなかでどう連携するかが課題。

齋藤貴恵 氏(社会福祉法人 気仙沼市社会福祉協議会)

生活支援相談員と一緒に活動している中で感じることは、被災地で様々な社会問題が重複して起こっていること。高齢者、子ども、貧困など様々あるが、いまいちど、いまから阪神の災害を振り返って、こういう風にやればよかったなぁと思うことがあれば、お聞きしたい。
NPO/NGO連絡会や月に1度の支援者ミーティングの継続については過渡期にきている。月一回の支援者ミーティングは、仮設住宅のコミュニティや個別支援に留まっているが、今後は、災害公営住宅の環境づくりや仮設住宅に残る方のコミュニティづくりなど幅広く考えていくべき時期だと考えている。

塚本卓 氏(一般社団法人 気仙沼まちづくり支援センター)

気仙沼では、牧さんからもお話のあった、災害公営住宅における「よそ者」という感覚による事案が、まさにが起こりかねない状況にある。狭い地域だが、沿岸部と内陸では気質が違う。それが同じ地域に住むことになる。阪神淡路ではどうしたかについてどう対応したのか教えていただきたい。また、これから外部支援者が減少することは目に見えている。次につながる活動をするために、次世代にどう受け継いでいけばよいのか知りたい。

資料等

映像資料

※一部抜粋です。すべての映像資料はネット配信映像のページでご覧いただけます。
Video Recording by Mediage

配布資料

開催概要

タイトル 恒久住宅移行期におけるコミュニティ支援を考える
日時 2014年10月29日(水)13:00 - 17:00
会場 気仙沼市役所 ワン・テン庁舎 大ホール
(宮城県気仙沼市八日町1丁目1-10)
プログラム
【基調講演】
牧秀一 氏(NPO法人 よろず相談室)
浜上章 氏(宮城県サポートセンター支援事務所)
【テーマ1】グル―プワーク
1. 残される住民のコミュニティ形成の支援(仮設住宅・被災地域の再建)
2. 移転する住民と受け入れ住民とのコミュニティ形成の支援(災害公営住宅・誘導型防災集団移転)
3. 地域全体としての新たなコミュニティの再生支援(みなし仮設・在宅・自立再建・協議会型防災集団移転)
【テーマ2】パネルディスカッション「社協・NPO・行政の協働の成り立ち」
[パネリスト]
鈴木美紀 氏(社会福祉法人 気仙沼市社会福祉協議会)
白鳥孝太 氏(公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会)
【テーマ3】パネルディスカッション「気仙沼の支援者と阪神・淡路の実践者との対話」
[パネリスト]
齋藤貴恵 氏(社会福祉法人 気仙沼市社会福祉協議会)
塚本卓 氏(NPO法人 気仙沼まちづくり支援センター)
牧秀一 氏(NPO法人 よろず相談室)
浜上章 氏(宮城県サポートセンター支援事務所)
【閉会あいさつ】
菊田忠衞 氏(ボランティアステーションin気仙沼)
主催 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)
共催 社会福祉法人 気仙沼市社会福祉協議会
気仙沼NPO/NGO連絡会
みやぎ連携復興センター
災害ボランティア活動支援プロジェクト会議
協力 社会福祉法人 宮城県社会福祉協議会
宮城県サポートセンター支援事務所
NPO法人 日本ファシリテーション協会
NPO法人 メディアージ
後援 気仙沼市
宮城県
復興庁 宮城復興局
参加者数 70名