現地会議
第8回 現地会議 in 福島
登壇者の主な発言 資料等 開催概要
登壇者の主な発言
【テーマ1】「伝える」-中通り・浜通り・会津 それぞれの現状-
岩崎大樹 氏(NPO法人 コースター|中通り)
県中地域は「復興」は目立つけれど、「課題」が目立たなくなって、見えなくなっているなという気がします。いろんな全国大会が開かれるとか「復興」についての機運は盛り上がっているのですけれども、課題が見えなくなってきているなと思っています。仮設から出て自立されるかたも出てきていますが、自立が進む中でこぼれてしまってるものも多く出てきているなと実感しています。
緊急フェーズでは行政ができないことを民間が率先してやっていると、復旧フェーズでは行政がやらない部分を民間が担ってきたと思っているんですが、これからについては既存行政の支援インフラの機能が向上するように民間の人たち(NPOとか)は連携指向で動きべきだと思います。支援は「いまここで」となりがちだが、3年目を迎えるにあたって「誰もやる人がいないから自分がやる」というだけではなくて、あえて他のいろんな機関や地域の元々の仕組みと情報を交換しながらやっていくことがこれからより必要になってくると思います。
蛭川靖弘 氏(NPO法人 まちづくり喜多方|会津)
喜多方市は非常に被害の少なかった場所でしたが、まず目についたのが風評被害ということで年間180万人の観光客がほぼぴたりと止まってしまって、グリーンツーリズムのまちとしても知られているのですが、前の年は7,000人の小中学生が農業体験に来ていたが0人になってしまいました。「では風評被害を払しょくするためにはどうしたらいいか」というところでたどり着いたのが「実害を取ろう」ということでした。「実害」とは何かというと、放射線被害です。喜多方市は国が定める0.23μsv/hという基準以下の平均線量だったので自治体は除染しないということを選択しました。我々がすすめた除染は、簡単に確実に廉価でできる「自力除染」というもので、いま少しずつ広まりつつあります。会津地域では最大の196kw/hという発電所(うつくしま発電所)をつくりまして、ここで収益を上げてその収益で自力除染の推進、地域での人材育成、アントレプレナーの育成などにあてていく予定でいます。
近藤能之 氏(みんな共和国 じゃぶじゃぶ池プロジェクト|南相馬)
水遊び場の「じゃぶじゃぶ池」を作ろうと思い、7月に実現しました。本当にありがとうございました。「外で遊ぶ」ということ、あるいは水と触れ合って遊ぶ、土と触れ合う、そういった経験というのは子どもが幼少期に必ずしておかなければ、大人になってからやっていいよということではないんですね。子どもたちの成長って待ってくれないんです。成長に合わせてそういった環境を大人が頑張って整えなければ、子どもはやらないで大人になってしまうんですね。それが非常に怖いことです。目的は「安心感を作ること」南相馬に安心感ができる、それが積み上がっていくことで子育てをしていい環境なんだなということ、がお母さんがたの気持ちの中にできあがっていくことなんですね。
行政との形というのは依存しないで「自分たちはこう動きたいからいいですよね?」と了承してもらうという折衝なんです。ゼロから「動いてくださいね」て言っても動けないのは、もうわかっていることなんですよね。どうしたらいいかというと、みんなで作っていく。ただ南相馬、あるいは福島の中だけでやろうよといっても、なかなか自分たちは被害者だという意識がある以上難しい、やはり全国の人とつながって人集め、モノ集め、お金集め、しなければ実現できないことです。
戸田光司 氏(一般社団法人 みんな未来センター)
みんな未来センターという場所を開きました。これは「みんな共和国」という事業をやりつつ、ほかにもいろいろ南相馬で新しいこと、イノベーションしていこうという場でございます。みんなで楽しく話をしながら課題に取り組んでいこうと、「フューチャーセンター」という機能を持たせています。町の人がみんな気軽に集まってように意図して作っています。活動内容は、みんな共和国、フューチャーセンター、もう一つ「みんなのキッチン」という飲食スペースを営利事業としてやっています。将来的には高校生、若者世代、現役世代、もう一つ上の先輩がたが遊びながら楽しみながら話をしていけるように、各世代が目標とか夢をもってしっかり見出して対話できるように、自分個人の未来とまちの未来が直結するような場所を通じて発信していきたいなと思っています。
長谷川秀雄 氏(NPO法人 3.11被災者を支援するいわき連絡協議会|いわき)
本業はNPO法人いわき自立生活センターという障害者福祉事業の理事長をしております。17年ほどやってきました。いわき市中央台の事業所の周りに、約1,000戸の仮設住宅が作られまして、その縁がありまして障害者支援に加えて被災者支援に取り組んできた経過があります。みんぷくの活動としては、ひとつは情報共有と課題解決を話し合う各種会議を開催しています。ホームページも非常に力をいれています。被災者向け情報誌「一歩一報(いっぽいっぽう)」。これ作るのが毎月大変なんですね。現在17,000部を印刷しておりまして、うち10,000部を双葉8町村の町民だよりと一緒に避難者宅に郵送してもらっております。今いわき市では避難中のかたといわき市民の間が非常に緊張している。軋轢が発生していると言われています。やはり賠償金の差があるとかいろんなことで、妬みの感情が生まれているのかなと思います。これを「紛争」としてとらえて、国際的な人道支援をしている団体の活動の経験のある大学の先生に来ていただきました。一方で原発事故避難者といわき市民の交流融和を進める活動ということで「まざり~な」という運動をやっております。街なかに交流サロンの小さいものを各店舗にお願いして、、主に借り上げ住宅に住んでいる避難中の方が店に行っていろいろ雑談したりすることで、いわき市民との交流をもっと細かくやっていきたいということでやっています。「これだけいわき市民は避難中の方を歓迎している」ということを感じていただきたいんですね。悪質な嫌がらせもありましたけども、多くのいわき市民は避難中のかたに心寄せているんだということを形にしたいという運動です。
復興公営住宅の建設と完成が相次いでいきます。ここに向けて私達は焦点をさだめて準備をしていきたいと思っています。第1の波は(地震津波被災者向け)災害公営住宅に入居が始まる、2014年の春から再来年の春にかけてやってきます。それにやや遅れて2015年冬にかけて(原発事故避難者向け)復興公営住宅の入居が始まります。ここに焦点を当てた支援計画の立案し関係機関と協議に入っていくべきかと思っています。混住するなかで双葉郡のどこが住民サービスをやるんですか?というとどことも言えないという問題が出てきますよね。そうするとやはりNPOの活躍が期待されるだろうけども、非常に気の遠くなるような課題ではあります。
志田篤 氏(NPO法人 昭和横丁)
僕はあの「高齢者の生活」にそれ一点に絞ってお願いしたいと思います。川内村は去年の4月、帰村宣言して、役場以下ほとんど帰りました。仮設住宅はですね、県の配慮で2年以上ということで皆さん住んでおられます。当然賠償が去年の8月30日で終わってますので、若い人は生活再建をしなきゃいけませんので、働きに出ています。で残った仮設に高齢者が多いということなんですね。これがいま僕らが悩んでいる最大の問題点かなと考えています。仮設住宅は川内の場合、郡山に3箇所あります。南仮設は125世帯、富田の若宮前に約80世帯が住んでおられます。それから道路をはさんで稲河原に約60世帯。それが全部80歳すぎの高齢者だということなんですね。で何が起こるかというとですね、生活再建するときに、今現実的に起きていることは、若い世代は村外で生活再建するので、高齢者まで手がまわらないという経済的な負担が出ているということですね。したがって高齢者はつつましい生活を強いられると。元々川内村ってそんなに豊かな村じゃないので三重生活になっています。川内村にも家がありますね。若い人は借り上げアパートへ入りました。で高齢者は仮設にいます。その三重生活でしかも賠償を打ち切られていますので生活費が増加して生活再建しなくてはいけませんので、支援団体にお願いしてまずお米を届けていただいています。これをしっかり乗り越えないと。かなり切迫しています。お願いします。
【テーマ2】「つなげる」-中間支援の連携の視点から-
深田俊雄 氏(NPO法人 ふくしまNPOネットワークセンター)
2つのプロジェクトのご紹介をさせていただきたいと思います。一番目が新しいスタイルのビジネスサロンというのを福島駅前でやっております。愛称「チョコラボ」ということで、震災後1年ぐらい経ってきましたときに、震災ニーズもだいぶ変わってきました。一方で借り上げ住宅、仮設に住んでいるかたよりも非常に多い方々なんですけども、福島市内でもあちこちのマンションやアパートにくらいしている方たちが、まだですね「情報がとどかない」とか「お互い連絡が取りにくい」とかというふうな状況でありました。その辺を踏まえて、ここにこういうサロンを考えまして、その課題に対応できないかという事例が一つであります。次にいまとりくんでいるものですが、出前型講座とワークショップです。浪江町の仮設住宅1箇所と、飯舘村の仮設住宅1箇所、これは福島市内に多いところをモデルとして選ばせていただいたんですけども。そこにですねこのような出前講座のカリキュラムをつくりました。4回の講座と1回の視察ツアーを組んでいます。
私は個人的には元々まちづくりのコンサルをしているので、まちづくりをしたいと。住民サイドのまちづくりをしたいと。そのためには住民のところに入っていって、住民の声を聞いて、一緒になって膝突き合わせて、帰るコミュニティ、集落をどうつくるかと。これからそこに結び付けたいんです。目標を作られないのが今の問題だと思うんですね。まちづくりのイメージといいますか。それが見えないから将来の計画が立てられないし、何をしていいかわからない。でもそれを住民同士が話し合って、「目標をこうしていきたい、それまでのプロセスはこうしましょうね」という合意形成できれば、誰がどういう支援ができるか見えてくると思うんですよね。
丹波史紀 氏(一般社団法人 ふくしま連携復興センター)
2011年3月の東日本大震災で地震・津波と原発事故を経験した福島は被災者のうちのおよそ半数が福島県という状況で、一時は160,000人を超え、今は150,000人くらいです。県外にも若干少なくなってきましたけども、ピーク時には62,000~63,000人、今は50,000人を切るような状況になっています。ただ県内外に広く広域避難という形で避難をしている状況にありますので、そこの中でのいろんな課題がでてきています。「行政機能そのものが移転せざるを得なかった」「避難の長期化」「家族や地域が離散をしている」ということです。
これよく話をさせていただくんですけど、大熊町のあるかたは商売されているかたですけども、震災前7人家族が一緒に住んでいたのが現在6箇所にバラバラに生活をしていると。さらに双葉郡内で一番多い人口がある浪江町については、全国600の自治体に住民が避難していると、21,000が600の自治体、全国の3分の1くらいの自治体に避難をしている状況で、役場の職員約150人でそれを支えきれるかというと、かなり無理があると。今回の災害というのは中心となる被害が多かった地域というのは浜通りといわれる沿岸部ですれども、それだけではなくて全県的に、あるいはそれ以上に被害が拡大をしていて「誰が被災者なのか」ということもわからないほどの被害の深刻さをもたらしているかなと思っている。
避難する人、しない人。原発周辺の自治体だった人、そうでない人。帰る人、帰らない人を含めてですけども、それぞれの選択を認めて尊重することから出発しましょうということなので、まず置かれている状況が「頑張れる人も頑張れない人も相互にいる」ということを理解しあうことから始まると思うんです。「賠償を受けているからいい思いをしている」みたいなことで、まだ県民のなかでもそういう誤解が生じる部分があったりするわけですから、我々が県内の中でそれぞれの置かれている状況を率直に理解し合っていくところを、やっぱり地道にやっていくしかないだろうと思っています。3年たってもまだそういう状態が続いていることを考えると、やるべき事はまだまだたくさんあるんだろうと思うんです。
資料等
開催概要
タイトル | 伝える・つなげる 福島の復興 ~会津・中通り・浜通りから~ |
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日時 | 2013年12月13日(金)13:30 - 17:00 |
会場 | ビッグパレットふくしま 3階 中会議室 (福島県郡山市南2-52) |
プログラム |
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主催 | 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN) |
共催 | NPO法人 うつくしまNPOネットワーク 一般社団法人 ふくしま連携復興センター 災害ボランティア活動支援プロジェクト会議 |
協力 | NPO法人 日本ファシリテーション協会 認定NPO法人 国際協力NGOセンター(JANIC) NPO法人 メディアージ 社会福祉法人 福島県社会福祉協議会 |
参加者数 | 67名 |