東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)

現地会議

第4回 現地会議 in 宮城

東日本大震災の発生から1年以上が経過し、宮城県でもガレキ撤去から仮設への見守り活動・被災者への心のケアを経て、より根源的な課題である、暮らしやすく魅力ある「まち」を地元の人々と一緒に「どうつくっていくか」という段階に入っています。そこで、1995年の阪神・淡路大震災、2007年の新潟県中越沖地震での支援活動を事例として、支援団体を支えるための情報およびノウハウを共有するとともに、各団体間がつながる場として、本会を開催しました。なお、運営・実施にあたっては、みやぎ連携復興センターと協働して開催しました。
要約 資料等 開催概要

要約

【開会あいさつ】

開会に先立ち、JCN代表世話人の田尻佳史から、長期的な支援を考えたときに、NGO、NPO、行政、企業が共に協力しながら復興に取り組む必要がある。今回は「住民と支援者が一緒に歩むためのヒント」というテーマで、過去の震災からお三方の話を聞きつつ、宮城県で活動している皆さまの話を合わせながら両グループで今後どうしていったら良いのかを話し合う機会としたい、と挨拶がありました。

【情報提供】

本編を前に、みやぎ連携復興センターの吉田裕也さんから「復興みやぎネットワーク会議」についての説明をいただきました。「復興みやぎネットワーク会議」はNGO、NPO、社協、企業、大学、行政などの地元の中間支援組織(34団体)を中心としたネットワークで、「組織運営」「まちづくり」「生活再建」という3つのテーマでワーキンググループをつくり、団体の支援を始めています。

【テーマ1】「知る」-県内各地の支援活動の現状と課題を共有-

テーマ1は、紅邑晶子さんをコーディネータに、県内各地の特に草の根で活動をされている方の生の声をおききすることができました。

塚本卓 氏(一般社団法人 気仙沼復興協会 福祉部)

問題・課題点として、緊急雇用で行政からの業務を受託しており、それが単年度契約のため長期的な計画が立てられない。被災者の雇用の繋ぎの場として考えていたが、まちづくり計画が思うように進まず雇用の増加の兆しもなく、次の仕事に移れる目途がたたないままみな不安がっている。
独自で財源確保をしていきたいが、次の財源をどのように求めていくか、毎日の業務に追われていることもあり答えが見えてない。
市民が支援を受けることに慣れてしまっているせいか、それがまちづくりにも表れている。

氏家義明 氏(NPO法人 がんばッと!!玉浦)

むしゃらにやってきた。やることの10個のうちの8個は失敗した。申請書を書いたことがなかったので運営・活動資金に困った。NPO法人格がとれたのは今年の6月。
集団移転をする人たちを集めてワークショップをしている。とても効果的で、話し合った結果を行政のまちづくり検討委員会に意見として反映している。次世代、次々世代にむけてこの枠組みを使いやっていけると思う。
玉浦地域は米作りが盛んで、農業機械がほとんど流されてしまったので、若い人が就農できるシステムづくりをワークショップを展開しながらおこなっていきたい。

佐藤貞子 氏(七ヶ浜町仮設店舗・七の市商店街・佐藤魚店)

七ヶ浜町東北一小さな町、そこで魚屋をやってきた。被災した後、何かやらねばと思い行商をはじめた。その後、復興商店街への出店の声がかかった。商店街では新しい仲間ができ、ボランティアの方々に看板を作ってもらったり、沢山の繋がりができた。商店街の自慢は、仮設の住民が集う場になったり、交流の場になっているところ。
仮設店舗も応急仮設住宅同様、期限付きの設備。この生活をいつまで続けることができるのかが不安。お店の内容設備は全て中古品なので突然壊れるかもしれない、いつ営業ができなくなるか不安。
一番の不安は、レスキューストックヤードさんが居なくなってしまうこと。でもこれからは、自分達で何とかやっていかなくてはいけないと思っている。

【テーマ2】「学ぶ」-過去の事例から支援のノウハウを共有-

テーマ2は、JCN代表世話人の栗田暢之がコーディネータを務め、過去の災害で活動されたお三方から、それぞれ経験と今回の震災支援へのヒントをお聞きしました。

黒田裕子 氏(NPO法人 阪神高齢者・障害者支援ネットワーク)

気仙沼で365日24時間体制で地域の見守り支援をしている。震災関連死、孤独死、うつ病患者などを出さないことを目的にしているが、専門職でなくてもできる支援がある。行政に依存するのではなく、行政からはお金をもらわず、企業から1円でも良いので支援を引き出す工夫をしている。人、モノでも良いので支援してくださいと言い続けてきた。つまり、お金がないからできない、ということではない。ボランティア活動にとって最も重要なのは、理念、信念。
見守り活動、隠れている方をどうケアするかが重要。見えないことを見る力、声なき声をきく力を身に着けるのが大切。自立と共生が原点で、何でもお手伝いすることが良いことではない。雨の日も雪の日も休まずラジオ体操をしている。今では仮設住民が40人以上が参加。また、支援現場には土足では絶対に入らない(自治会のひと、民生委員のひと達と相談しながら一緒におこなう)こと、多種多様な人たちを巻き込んでいき、住民自身が自主的に動いていく流れをつくることが大切。

稲垣文彦 氏(社団法人 中越防災安全推進機構 復興デザインセンター)

中越の時は、地元の自分達が主体とならなければと思い、中越復興市民会議という中間支援団体を立ち上げ、全国の支援者に助けられ、興す事業、寄り添う事業、伝える事業、考える事業、助成事業などを軸とし活動をしてきた。
中越地震では1年8か月目に入ってはじめて、県、市町村、民間団体と一緒に情報交換会を持った。その後は、県、市町村の方々と一緒に被災者のために何ができるかじっくりと取り組んできた。活動をしていて一番重要だと思ったことは、その人が持つ本来の役割・チカラを奪ってはいけないということ。

浅野泰彦 氏(社会福祉法人 柏崎市社会福祉協議会)

柏崎市社協は、平成7年ナホトカ号原油流出事故、16年中越地震、17年豪雨災害などでボランティアセンター運営経験があった。
生活支援相談員制度は中越大震災からシステム化された。孤独死を出さないことを目的とした。中越沖地震。柏﨑市が被災。約1000棟の仮設住宅、仮設住宅の方々を主体とし支援者と一緒にサロン活動、保健師さんなどと連携した見守り、復興住宅への提案活動など行った。
生活支援相談員は最大20名、5年間の雇用として、現在も地域をまわりながら活動を続けている。柏﨑では、2年間の仮設住宅生活の中で孤独死等は出なかった。歯抜けの仮設を防止するには、支援者が過剰に支援し過ぎず本当に必要な支援を見極めること、居心地がよすぎる状態をつくらないこと。
社協だけではできないので、行政、NPOとも協力することが重要。しかし、最後はやはり社協だ。そこで生き抜く人たちが主体となるように支援することが大切。

資料等

開催概要

タイトル 住民と支援者が一緒に歩むためのヒント
日時 2012年08月22日(水)13:00 - 18:00(300時間)
会場 エル・パーク仙台 スタジオホール
(仙台市青葉区一番町4-11-1 141ビル)
プログラム
【開会】あいさつ
田尻佳史(JCN代表世話人)
【情報提供】
吉田裕也氏(みやぎ連携復興センター)
【テーマ1】「知る」-県内各地の支援活動の現状と課題を共有-
[パネリスト]
塚本卓 氏(一般社団法人 気仙沼復興協会 福祉部 事務長)
氏家義明 氏(NPO法人 がんばッと!!玉浦 副理事長)
佐藤貞子 氏(七ヶ浜町仮設店舗・七の市商店街・佐藤魚店主)
[コーディネーター]
紅邑晶子 氏(みやぎ連携復興センター)
【テーマ2】「学ぶ」-過去の事例から支援のノウハウを共有-
[パネリスト]
黒田裕子 氏(NPO法人 阪神高齢者・障害者支援ネットワーク 理事長)
稲垣文彦 氏(社団法人 中越防災安全推進機構 復興デザインセンター長)
浅野泰彦 氏(社会福祉法人 柏崎市社会福祉協議会 事務局長)
[コーディネーター]
栗田暢之(JCN)
【テーマ3】「つながる」-ブース形式でつながりづくり-
[進行]
尾上昌毅 氏(NPO法人 日本ファシリテーション協会)
主催 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)
協力 みやぎ連携復興センター
NPO法人 日本ファシリテーション協会
NPO法人 メディアージ
参加者数 113名