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避難者への理解・・・中国地方の場合

近い地域でも福島県から1,000km近く離れている中国地方では、震災発生から年月が経つほど「避難者」への理解が浸透しにくくなっている。

「理解」という概念よりも「存在」といった概念の方が正確なのではないかと思うくらい「避難者」に対しての関心が低いことに驚く。特に、その後の様々な災害が発生するたびにそのことは顕著になっていっている感が否めない。

そこで今回は、われわれ支援者側から見た「避難者」と、市民側から見た「避難者」の「存在」の本質の違いについて書いてみたい。

われわれ支援者は、常に避難者の存在を身近に感じ意識している。それはもちろん「支援」のことを考えているからに他ならないが、要は避難者と接する機会の多さ、震災そのものへの理解・関心の深さがあるからである。

そこでそのことを、そんな自ら(支援者)を客観的に認識できていないと(認識できていない時)往々にして一般市民の避難者への理解の無さに無力感を感じたり、腹を立てたりする光景を目にすることになる。

「避難者の立場を分かっていないなんてひどい!」とか「避難者を支援し助けてあげるのが当たり前なのに」といったようなことをいう支援者を時々見かけるのである。こう思うこと自体、仕方のないことで、こう思うことを決して非難できないが、それを口に出してしまったり、市民に食って掛かったりしてしまうことは避けなければならない。その行為は実は更に避難者への関心を弱め、「存在」を消してしまうことに繋がりかねないからだ。

一般市民は決してヒューマニズムに欠けている訳でもなく、「存在」に関心が無い訳ではないのだ。その実像を、実態を知らされていないからに他ならないのだ。

われわれ「支援者」は、息長く、辛抱強く、丁寧に、避難の実情、避難者の存在、避難生活の状況を、できうる限り客観的に、時には冷徹に感じるほど客観的に伝え続けていかなければならいのだと、「避難者の存在」に関心のない人たちに出会う度、そう思うのだ。